再録 随想 伊路波村から134~あるメール 老子 孔子 菜根譚

人のいろんな性格や、特徴やできないことは
みんな「らしさ」でしょうかね。

同じ人はいないので、この世は「らしさ」の集合体。
すべてが必要な自然な姿です。

フーチパターンができる人は、すべてが一ついのちで
あることを知っているからですね。
繋がっているからイメージだけでわかります。
どんなに離れていてもです。
簡単にいうと自分の一部だからですね。

「道」(タオ)は老子の思想です。
無為自然です。 タオは自然界に遍満するものすごい
エネルギーともいえます。
スターウオーズの「フォース」のようなも のでしょうか。

そしてその対極の孔子です。
「論語」です。道徳、礼儀、仁義の世界ですね。
韓国の多くの人々の思想です。

無為自然がすたれて道徳、仁義の世界観がおおった中国。
そしてその後ふたつを交えて禅の考えも混じった
菜根譚(さいこんたん)という随筆が出ます。

この菜根譚は日本で受けましたね。
この菜根譚がこの身や心に一番しっくりきます。

32節33節のことばは菜根譚の特徴をよく顕します。
「功名や富貴を求める心を捨て去ることができれば、
凡俗の域から脱したといえます。
だが、それだけでもまだ 本物ではない。
道徳や仁義にとらわれぬ境地に達してこそ、はじめて
聖人の域に入ったと言えるのです。」

道徳や仁義にとらわれないことですから、それを
するとかしないとかにとらわれないことですね。
してもいいし、しなくてもいい。
問題にしないこと。

一般的な日本人にはあまりに理解がむつかしいですね。
「ええ~~~!!」でしょうね。

菜根譚は無為自然のタオさえこえてしまいそうです。
執着を捨てることですから。

執着をもつもっとも大きな原因は「分離感」でしょうか。
ひとつのいのちを生きていないという分離感です。
だから執着は てごわいと、大哲人の森信三さんも
おっしゃいました。

でもひとついのちを生きていると確信をもてても、
なおこの世界で生かされます。
多くの偉人のように。

ただ執着をなるべく薄くして、ひとついのちを
生きているのだから「あなたはわたし」なのだから
すべてを赦して認めて、現象を楽しむことしか
できませんね。

「真の孤独を知るものが フォースを得る」

スターウォーズ 最後のジェダイから