人は業想念の解消のためにこの世にきたのだろうか。
それぞれの人にはどうしても手放し難い業想念があるようだ。
許せないこと、どうしても守りたいこと。
時間を守る、約束を守る、清潔不潔、嘘をつかない、
お金にシッカリ、節約、勉強する、親孝行、教育をシッカリ、
善の実行、成長、平等不平等、そして正義。
「ありがとうございます」の感謝と無償の奉仕が
業想念の解消にもっとも有効な方法であるらしいが。
手放せない正義の出来事が中学時代にあった。
中学校は名古屋一の荒れた学校だった。
学生はきそって窓ガラスに石をなげ、割れた枚数を競う
者もいた。授業中に睡眠薬を飲み校庭をラリッテ歩きまわる
者もいた。友達を恐喝したり、他校との暴力事件も頻繁だった。
しかし僕たちはその原因に思い至った。
それは「差別」である。差別をしないようにしようと、
皆に呼びかけることでなく、まず一人ひとりの行動に
差別の想いをなくそうというところから改革は始まっていた。
楽しい中学生時代。そんな差別の対象の子たちも
巻き込んで、地域の変化は進んでいた。
しかしそんな活動を精神的に支援する先生の更迭が
ささやかれ始めた。生徒会ぐるみでそれを撤回するよう
運動を起こした。中学三年生の子供たち。
PTAの親たちが騒ぎ出した。子供をなだめ一人
また一人と運動から去らせた。
わずかに残った者たちも去っていった。
先生の切り札の言葉は「内申書に書くぞ!」
その頃高校入学のための内申書は重い意味をもっていた。
受験生にとってはきつい言葉だったのだろう。
担任のH先生に最後通告に呼ばれた。暑い校庭。
「お前が 運動を続けるのは お前の勝手だ。
だが高校入学に支障があることだけは 忘れるな。
できるだけ 運動をやめて 勉強しなさい。」
僕は返事した。
「このことで 高校にはいれないならそれでいいです。
ぼくは自分の信じることを続けます。」
手放せない正義ということ。
このことの解消のために、幼い頃にこの事件にであったのだろうか。
もし高校入学に失敗したら、とても私学に入学できる
経済状況ではなかったから、子供にとっては重い選択だった。
でもこのとき逆の道を選んでいたなら、おそらくその後の人生に
いつも影を引きずっていたことだろう。
今思えば手放せない業想念のひとつ「正義」ということが、
自分に根強くあったのだ。
大人になってさまざまな経験をし、やっと「なんでもいい」
「オール OK」になれた。
だがこの体験がその後の体験を呼んだと考えると、
ギリギリの選択の機会をくださった、
H先生に感謝せざるをえない。
幼い頃の強烈な思い出である。