3018「希林さんのできた訳」2023.4.1 自分で自分を自分するから

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 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年03月22日の記事を紹介します。

「希林さんのできた訳」

樹木希林さんは、若いころから内田裕也さんと共に法華経の「希心会」と言う会に属していたそうです。

大変良心的な会で、一世帯の月会費が、たったの100円。

希林さんは、旧芸名は悠木千帆でしたが、その名前をオークションに出品し、

新しい名前、希林の名は希心会の一字を受けたのだそうです。

日本では、敗戦後、占領軍の指導のもと、日本人の精神的支柱を破壊するために、宗教的なものは、全て否定され、忌み嫌うものとされて来ましたが、そんなことは決してなく、もし悪いところがあるとすれば、それは

・お金儲け、

・全面依存させ、精神の自立をさせない(一生の金づるにするため)

・他の考えを認めず、攻撃する

などに陥れば、非難されてしかるべきですが、古くから日本に根付いていた信仰の心は

決して悪いものではないと思います。

世界の常識では、誰でも、信仰する教え・考えを持ち、多くの日本人のように「私は無宗教です」などと言えば、人格を疑われるほどです。

さて、希林さんですが、

若いころからブッダの教え「法華経」を信じていたからだけでなく、

その素晴らしい考え方、生きる覚悟は、どうも、ガンを患ってから身に付いたようです。

次にインタビューの記事をご紹介します。

10代、20代の不登校・ひきこもり当事者とともに、樹木さんに3時間のインタビューをした 『不登校新聞』の編集長・石井志昂さんが追悼の思いを込めてつづっています。

<引用開始> 引用元

石井:私が取材したいと思ったのは、映画『神宮希林』のなかで、夫・内田裕也さんについて「ああいう御しがたい存在は自分を映す鏡になる」と話していたからなんです。

これは不登校にも通じる話だな、と。

樹木:あの話はお釈迦さんがそう言ってたんです。

お釈迦さんの弟子でダイバダッタという人がいます。

でも、この人がお釈迦さんの邪魔ばっかりする、というか、お釈迦さんの命さえ狙ったりする。

お釈迦さんもこれにはそうとう悩んだらしいですが、ある日、ブッダは「ダイバダッタは

自分が悟りを得るために難を与えてくれる存在なんだ」と悟るんです。

私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。

ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。

人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。

今日、みなさんから話を聞きたいと思っていただけたのは、私がたくさんのダイバダッタに出会ってきたからだと思います。

もちろん私自身がダイバダッタだったときもあります。

ダイバダッタに出会う、あるいは自分がそうなってしまう、そういう難の多い人生を

卑屈になるのではなく、受けとめ方を変える。

自分にとって具体的に不本意なことをしてくる存在を師として先生として受けとめる。

受けとめ方を変えることで、すばらしいものに見えてくるんじゃないでしょうか。

石井:そう思うきっかけはなにかあったのでしょうか?

樹木:やっぱりがんになったのは大きかった気がします。

ただ、この年になると、がんだけじゃなくていろんな病気にかかりますし、不自由になります。

腰が重くなって、目がかすんで針に糸も通らなくなっていく。

でもね、それでいいの。

こうやって人間は自分の不自由さに仕えて成熟していくんです。

若くても不自由なことはたくさんあると思います。(=自分の自由にならないことは沢山ある)

それは自分のことだけではなく、他人だったり、ときにはわが子だったりもします。

でも、その不自由さを何とかしようとするんじゃなくて、不自由なまま、おもしろがっていく。

それが大事なんじゃないかと思うんです。

<引用終了>

全身、ガンに侵され、そうなったら誰でも、自分のいのちと向き合うしかありません。

そんなことでもない限り、私たちは、自分は何のために生まれて来たのか?

考えないかもしれません。

希林さんは、内田裕也さんという、ダイバダッタに出会い苦労し、ガンというダイバダッタに出会い、人生を深く味わい、そうして、人生の奥深さ、醍醐味を身につけたのかもしれませんね。

私たちの人生で出会う、一見不幸な出来事

・事故

・病気

・別れ

・貧困

・死

それさえも、私たちの人生を輝かせてくれる舞台装置に過ぎません。

悩み苦しみ、呪いの言葉で、 相対するのではなく、感謝の心で、望みたいものですね。

そうしてこそ、このような不幸に見える出来事も私たちの魂にとって、意味のある出来事に変化します。

ちなみに、提婆達多(ダイバダッタ)は生きながらにして地獄に堕ちた悪人の代表とされていましたが、経典の提婆達多品において、提婆達多こそ実はブッダの前世において師であったと明かされ、未来において、その成仏(仏・悟りを開くこと)を保証されています。

樹木希林さんにとっての、内田裕也さん。

皆さんにも、そんな

・自分の思い通りにならない

・目に障る

・言うことを聞かない

・自分の理想とはかけ離れた言動をする

・自分の思う「普通」や「当たり前」とは違う

のようなご家族はいらっしゃいますか?

それとも、同僚や友人に、そのような方はいらっしゃいますか?

そのような人こそ、ブッダの弟子だったダイバダッタのような人かもしれません。

・とっても嫌な人、

・顔も見たくない人

・会えば文句を言いたくなる人

・憂鬱になる人

・苦しみの種

かもしれません。

ですが、その人が居てくれるからこそ、

悩み苦しみ、悲しみを味わうことになりますが、ご自分の魂を揺さぶり、深く熟考を促し

魂の深みを味あわせてくださっているのでは、ありませんか?

その人が存在するからこそ、

・生まれて来た目的

・生きる目的

・神様のこと

を深く考えるようになったのではありませんか?

まさにダイバダッタです。

ブッダは、この時悟ります。

この人は実は有難い存在だったのだと。

そう思えた時、魂の闇は明け、光が差し込み、悩みは悩みでなくなり、苦しみも、苦しみではなくなり、感謝の中に幸福な人生を歩めるのではないでしょうか。

この時、確実に、神々の大きな恩寵が動き出すことでしょう。