天地は最上の書籍
天地は最上の書籍である。
それは人間の書いた如何なる書物よりも
勝れている。
学者の中にも、天地を読もうとする学者と、
書物を読もうとする学者とがある。
そして、天地を読む学者のみが真の
学者であり、かかる学者にして、初めて
書物を書く資格がある。
書物だけを読む学者の書いた本は、
読めたものではない。
諸君らの勉強も、ここに心せねばならぬ。
常に天地を読む人の書物を読むのでなければ、
本を読んでも大した効はない。
天地を写した書物というものは、
箇条書きにして暗記するわけにゆかぬ。
そこで読書に際しては、書物のリズムと
自己のリズムとを、合わせつつ読むのでなくては
ならぬ。
こうした読み方をした後は、良いお茶を
飲んだ後のような味わいが残る。
しかし、かかる書物は世間に多くはない故、
それを見つけることが大事である。
必ずしも専門家のものたるを要しない。
その人が天地の心を読んでいるか否かが
問題である。
書を読むに当たっては、純心な心をもって、
書物の内側に入り込んで行かねばならぬ。
批判は読み了った後のことで、批判しながら
読むというのは第一義の読み方ではない。