出処進退の問題
すべて物事は、平生無事の際には、ホンモノとニセモノも、偉いのも偉くないのも、さほど際立っては分らぬものです。ちょうどそれは、安普請の借家も本づくりの居宅も、平生はそれほど違うとも見えませんが、ひとたび地震が揺れるとか、あるいは大風でも吹いたが最期、そこには歴然として、よきはよく悪しきはあしく、それぞれの正味が現れるのです。
同時にわれわれ人間も、平生それほど違うとも思われなくても、いざ出処進退の問題となると、平生見えなかったその人の真価が、まったくむき出しになってくるのです。
先に私は、出処進退における醜さは、その人の平素の勤めぶりまで汚すことになると申しましたが、実は、出処進退が正しく見事であるということは、その人の平生の態度が、清く正しくなければできないことなのです。