出合いがすべて 030926

大いなるものと 師を求めて 人生という旅は続いている。
この10年間での 劇的な出会いは 人間としての
自己に大きな影響を与えた。
故 中村天風氏には「積極」の大切さを、
故 政木和三氏には「多くの人の役に立ち 他の歓びを
             我が歓びとする」ことを教えていただいた。
それは 母の教えと同じだった。


そして鏑射寺の中村公隆和尚様に「いのち輝いて生きる」ことの
人間としてのたいせつさを、
はがき道の坂田先生にはあまりにも多くの教えをいただいたが、
「続けることの大切さ」と「あるままに生きる」ことだろうか。
そして あんでるせんでの久村さんの未知能力を見て、
「今がすべて」を実感した。
ありがとうおじさんとの出会いはまだ3年。「祈りがすべて」、
「この世には自分しかいない」の確信をいただく。
もうなんだか最終のコーナーをまわったかのように感じている。
「一人の師を 食いぬけること」が大切と聞いた。
その師に会うこともまだ無い。
いやむしろ出会った方 すべてが師と呼んでいいのだろうか。
それをそう感じ取る自分がなかっただけかも知れない。
大いなるものを それと表現しただけで、
もうそれは相対の世界での表現にすぎない。
「わかりません」こそ究極の答だろうか。
この世のあってあるものの 一原子にさえ宇宙が宿り、
存在はすべてがフラクタル(相似形)。
そして自他に境などはない。
生き方を学んで どこへ行こうとしたのだろうか。
どこへも行く必要などなく、みんなあったし、
いぜんとしてあるのに。
おそらくそのことに気付くために いろんな人々に
会わされたのかも知れない。
そしてこれからもそれは続くことだろう。
そうだ 今 それを望めば。
だがそれは自分のためでも、他の誰のためにでもなく、
与えられたこのいのちのためにこそ。
いのちは無限。
ありがとうございます