ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 1

友人からいただいたラマナ・マハルシの「私は誰か」を
連載させていただきます。

故山尾三省さんによる翻訳小冊子からです。

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すべての生きものは、いつでも幸福である
ことを願い、悲惨ではないことを願っている。
私たちひとりひとりについて考えてみても、
そこに自己への至上の愛があることが
認められる。

その愛の源はただ一つ幸福である。
人間の自然性である幸福、意識のない
深い眠りの中で体験される幸福を
手に入れるためには、人は自己を
知らねばならない。

自己を知るためには、「私は誰か」という
問いで自己を尋ねる知識の道が、
最も重要な方法である。

1・私は誰でしょうか?

七つの気まぐれな部分(頭部・両手・
胴体・生殖器・両足)から成るこの粗大な身体、
私はそれではない。
五つの感覚器官、聴覚・触覚・視覚・味覚、
そして臭覚はそれぞれの対象である、音、感触、
色や形、味、そして匂いをとらえるけれども、
私はそれらではない。
五つの能動的な器官、発声・運動・認識・排泄
および生殖器官は、それぞれに話すこと、
動き回ること、認識すること、排泄すること、
楽しむことを機能するが、私はそれらではない。
五つの生気、すなわちプラーナその他のものは、
それぞれ吸気その他の働きをするけれども、
それらは私ではない。
ものごとを考える心すらも私ではない。
対象物の印象のみが刻み込まれている無知、
そこに対象物も働きかけもない。
無知もまた私ではない。