3128「幸せの種」2023.7.20 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月09日の記事を紹介します。

「幸せの種」

今日は「幸せは見つけるもの」というテーマで小林正観さんのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元 

生れてからずっと目が見えない人は、

「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、親の顔を見てみたい」

「結婚した相手の顔を見てみたい」

「子どもの顔を見てみたい」

と思いながら生きているそうです。

私たちは、0.1秒どころか、生まれてこのかた、目が見えないことなどないにもかかわらず、

目が見えるということに対して、感謝することなどまずありません。

それどころか、

・あれが欲しい

・これが欲しい

・あれをよこせ

・これをよこせ

と現状に対して不満ばかり口にしています。

私たちは小さい頃から、足りないものをリストアップして、

それを手にいれなければ幸せになれない、と教え込まれています。

そのように洗脳されているのです。

それを、「夢と希望に満ちあふれた生活」といいます。

それに対して、私は「夢と希望もない生活」を送っています。

夢も希望もない代わりに、悩みも苦しみも煩悩(ぼんのう)もありません。

私は酒もタバコも麻雀も、娯楽といわれるものは何もしませんし、休みもほとんどありません。

「何が楽しくて生きているのですか?」と、ときどき尋ねられることがありますが、

「ただ幸せをかみしめて」生きている。

「自分がいかに恵まれているか」

「自分がいかに幸せか」

「自分がいかにありがたい状況に生きているか」

ということに気づいたら、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の

「五戒」など口から出てきません。

願いがかなったら、望んだものが手に入ったら、感謝する、というのは、

本当の感謝ではありません。

何も要求することなく、不平不満を言うこともなく、いま目の前にあるものを、ありがたく味わう。

それこそが、本当の「感謝」なのです。

人は、自分がいかに幸せな状況のなかで生きているかに気がつきません。

海で泳いでる魚は、

海を見ることができません。

それで「自分も海をみてみたい」と思い、釣り人が垂れている釣り糸にガブリ!とかぶりつくのです。

すると海の上に引っ張り上げられる。

それで初めて、魚は海というものを見ることができるのです。

釣り上げられた魚が「私」なら、釣り上げた人とは「神さま」。

釣り上げられた状態は何かといえば、「事故、災難」。

海とは、「幸せ」そのものです。

神さまに「幸せというものを見せてください」と言うと、神さまは「わかりました」と言って、災難や事故というものを起こして、私たちを釣り上げてくれます。

かぜをひいて、丸1日何も食べられなかったら、かぜが治ったときに食べた1杯のおかゆが、とてつもなくおいしく感じられるでしょう。

元気いっぱいで毎日おいしいごちそうばかり食べていたら、おかゆのおいしさは、なかなかわからないでしょう。

では、かぜで丸1日食べられなかったことは、はたして不幸なことだったのでしょうか?

そうとはいえないでしょう。

その体験があったから、おかゆのおいしさ(幸せ)を味わうことができたのです。

私たちが「幸せ」を感じるためには、その前には一般的に「つらい、苦しい、大変」といわれる状況が起こるようです。

そういう構造になっている。

そのことに気づいたら、私たちは

・つらいこと、

・苦しいこと、

・大変なこと

に遭遇したときも、一喜一憂せずに、平静な心でいられるかもしれません。

<転載終了>

私は大分、正観さんが仰るような生き方をするようになりました。

無理して頑張るとかはしません。

人から頼まれるとか、自然の流れで、する羽目になってしまったことをするようにしています。

なぜならそれが神さまの意思であり、神さまが引いて下さった良きレールだと思うからです。

流れに身を任せています。

そして、ちょっとしたことに「小さな幸せ」を見つけようと思っています。

でも世の中には、ちょっと自分にイヤなことがあっただけで「最悪だ!」って言う生き方を

する方もいらっしゃいます。

・幸せの種を見つけるのが上手で、いつも感謝の人生を送る人

・足りないもの、悪いところを見つけるのが上手で、いつも不平不満を口にする人

たったこの方向性の違いだけで、幸福度がだいぶ異なります。

天国か地獄かです。

同じような境遇、出来事に囲まれていても感謝の人の周りは、光が溢れ笑顔に囲まれていることでしょう。

不平不満の人の周りは、同じように暗い顔をした人に囲まれていることでしょう。

人生が楽しくない人、うまくいってない人は、もしかしたら、幸せも成功も、「見つけるもの」だとは思っていなくて、「与えられる」か「偶然入ってくる」ものだと思っているのかもしれません。

チャンスも「来るもの」だと思っていて、「見つけるもの」だと思っていないのかもしれません。

ですが、感謝して笑顔で生きている方には、きっと神さまの恵みもふんだんに現われることでしょう。

今世の中は、「コロナウイルス」などの過剰な報道で、どんどん、どんどん人々の心が、不安と恐怖に向けられて行っています。

また、

・病気やケガ

・貧困

・リストラ

・介護

など、非常に困難な状況に置かれている方も居るかもしれません。

ですが、どうぞ安心なさってください。

勇気を持ってください。

神々を信じ、感謝の心で生きている人を神様は決して見捨てません。

見ていらっしゃいます。

今は世の中の変動の時期ではありますが、それは、良き世を作るための変化です。

今の状況も、神様が私たちに必要だからこそ、その環境の中に置いてくださいました。

その深い理由を、生きている最中は知る故はありません。

ですが、ご自分の内にいらっしゃる神さまをどうぞ、信じてください。

目には見えなくとも、本当にいらっしゃいます。

心を澄ましていれば、いつかお声を聞くこともできるでしょう。

永遠に続く私たちの魂の道筋の中で、私たちは、ほんの一瞬、地球に立ち寄り、経験をさせていただいています。

それが終われば、再び自由度の低い肉体を脱ぎ魂の世界に帰っていきます。

私たちが、今ここ、置かれた環境の中でできることは、精一杯自分なりの、花を咲かせることだけです。

その花は、人によって様々です。

道端に咲くような可憐な花も、美しい大輪の花もあるでしょう。

ですが、どの花も、神様にとっては美しく、愛おしい花

どのような環境であろうと、私たちの感謝の心は、神々が恩寵を表すために大切な媒体です。