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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月14日の記事を紹介します。
「死を超えて明かされる秘密」
ブッダの前世の物語、ジャータカによれば、ブッダは29歳で修行に発ち、35歳で悟りを開きました。
インドには古くから、命あるものは生まれ変わりを繰り返すという「輪廻」の思想があります。
仏教を伝えた人々は、ブッダは無限とも言えるような過去から生まれ変わりを繰り返し、
その中で善業を積んできたから、最終的に悟りを開くことができたと考えました。
このブッダの過去世での善業を伝える物語を集めたのが、「ジャータカ」です。
ブッダはかつて2つの重要な法則を私たちに教えてくださいました。
・因果の法則
・縁起の法則
因果の法則(カルマの法則)とは、すべての物事には必ず原因と結果があり、すべてはその原因と結果の連鎖で成り立っているというものです。
これは私たち人間の生活や人生の話だけではなく、動物や植物といった生命全て、地球そのものが、この因果の法則によって成り立っていると言われます。
縁起の法則では、私たちの生まれてから死ぬまでに起こってくる全ての出来事は、生きている私たちの意思や努力で変えられるものではなく、既に生まれてくる前に決めたストーリーの通り、決まっている。
そしてこの人生ストーリーは私たち自身と、神様で相談して決めてくるのだそうです。
この因果の法則は私たちの宇宙では、ブッダの説いたとおり絶対的な法則ですから、私たちのこの人生ストーリーも、この法則から外れるものではありません。
神様から私たちの魂が枝分かれして宇宙空間に旅立ってから、今までに生み出した 因(カルマ・・良い意味でも悪い意味でも)によって、私たちは結果を受け取るわけですから、
人生ストーリーの中で起こる色々な出来事も、この因による結果の出来事が組み込まれることになります。
例えば、
・貧しい人に施しをしたことがあったので、困った時に助けが現れる・・
・困っている人を見て、見て見ぬふりをして逃げてしまったので、
大切な時に物事の遅延が重なり、なかなかことがうまく運ばない
など・・(本当はこのように単純には起こりませんが)
この因果の法則は、言いかえると宇宙の法則
与えたものが、受け取るもの
と言うことです。
・温かい言葉を投げかければ、温かな言葉をかけられます。
・笑顔を向ければ笑顔が帰ってきます。
・親切にすれば、親切にされます。
・傲慢な態度を取れば、傲慢な態度で返されます。
因果の法則は決して私たちを苦しめるものではありません。
神様が、私たちを苦しめる法則など作らないからです。
この人生ストーリーをベストなタイミングを図り、起こしてくださっているのが神様や仏さま。
そしてこの地球において、そのストーリーを展開するために、色々な役割を演じてくださっているのが、友人・知人・家族たちとなります。
様々な役目があります。
・親切な役
・憎まれ役
・味方、敵
・殺し役、殺され役
・運命を回転させる推進役
・親、兄弟、友人、同僚役
全部この因果の法則の「結果」部分の出来事を、私たちの人生という大舞台で一緒に演じてくださっています。
ブッダが縁起の法則で言うように、私たちの人生ストーリーは、寸分の狂いもなく決まっており、私たちは、その流れに身を任せるだけです。
ブッダの言うように、私たち生きている間の
・意思や努力
・必死なもがき
で変えられることは 0パーセントです。
変えられません。
ましては他人(子供や家族を含め)の人生を、私たちの自分勝手な価値観で変えさせようとすることなど不可能です。
因果の法則も、縁起の法則も、神様が決めた法則です。
つまり「慈悲や愛」に根ざしているということです。
神様と私たちが生まれてくる時に決めてきたシナリオは、私たちの魂の成長を目的に書かれていますから、愛そのものと言えます。
私たち生きている人間は、起こってくる出来事を 「あるがまま、ありのまま」に感謝して受取り、下手にもがいたり、変えようとは思わず、神様を純粋に信じて生きていれば、
それで良いようです。
難しいことはありません。
自然界に生きる、動物や植物たちと同じです。
私たち自身の決断も、行動も結論から言えば、もう決まっていることです。
私たちは神々の「愛」を信じ、「あるがまま、ありのまま」の流れに任せ、神々が織りなす愛と善を自分自身の役割として演じながら、味わい、理解するための経験をこの地球でさせていただいているのかもしれません。
因果の法則とは、盗んだから盗まれる。。と言うような単純な反応ではなく、様々な因が絡まりあって、結果を生むようです。
激しい結果を受け取ることで、一気に沢山の因の解消を図ることもあるようです。
(そのためには強い魂である必要がありますが)これも神様と相談して人生ストーリーに組み込まれます。
そしてもう一つ大切なことがあります。
既に因果の法則の「因」を燃やしつくした方も居らっしゃるということです。
その場合、因果の法則の因に縛られることがありませんから、行動の自由度も増しますが、
多くの場合は、既に高貴な魂となっていますから、自己犠牲的な、人類の成長に貢献するような出来事を人生ストーリーに組み込んで来られる方がいらっしゃると言うことです。
3.11の東日本大震災では多くの犠牲がありましたが、その方々の貴重な生命の犠牲をキッカケとして日本の集合意識は大きく目覚めました。
神々の計画であった精神性の復活の時代が始まりました。
生きている人間からすると「死」と言うものは永遠の別れ、悲しいもの、忌み嫌うべきものと捉えがちですが、大きな永遠の生命の流れの視点から見れば、一つの通過点という意味になります。
悲しいことではありません。
また逢えるのですから。
ですがその分、生きている人々に大きなインパクトを与える出来事になります。
悲しい、苦しそうな、辛そうな死を迎えた人もそこには大きな意味があったということです。
決して偶然に、運悪く、バチが当たって死んだわけではありません。
それをきっかけに世の中の流れが変わったのかもしれません。
周りの人の心に何か変化が起こったかもしれません。
自然界を見れば、この自己犠牲的な死を選ぶ動物や植物は沢山います。
それは、その動物たちの集合意識が、個の生命よりも集合体としての全体の存続を選んだ時です。
決して自分が死に役になったからと不平・不満を言う者はいません。
人間も同じです。本当はそんな純粋な心を持っています。
人間の肉体の生体反応では頻繁にこのことが行われています。
ある細胞が犠牲になることで、他を生かすようなことが沢山あります。
たとえ私たち残された者たちの顕在意識が、疑問、不満を持ったとしても、本当は潜在意識、次元の上のレベルの私たちの意識では納得しています。
それが最後の別れではないと知っているからです。
その出来事を通過することで、
全体の調和と進化が測れることが分かっているのですから。
死別は大きな出来事です。
その隠された秘められた大切な、壮大な意味は神様しか分かりません。
ですが、神様は私たちを見捨てません。
裏切りません。愛そのものです。
残された私たちは、今 目の前の人、事を大切に、誠実に生きることで、亡くなった大切な人たちと、死を乗り越えてまた笑顔で会えることでしょう。
そして秘められた秘密は、死を超えて、その再会の時にきっと明らかにされることでしょう。