Vol.800+30+43
神武は天武
持統天皇までの諡(おくりな)をつくったとされる淡海三船という人物は、天智天皇の孫にあたり、天智と天武の時代の正体を知っていたと考えられます。その人物が、初代の神武天皇と第四十代の天武天皇に、同じ武という文字を使った意味は、多くの日本人が気付いているように、記紀の神話は、天武天皇の壬申の乱をもとに、東征神話が形成されたというところにあると、考えてよいのでしょう。その前提があって、この二千二十三年七月に、天武天皇の霊体が、神格を持って、神武天皇となったという事象が起きました。
最終知識の知識でいうと、日本史を聖書に対応させるために書き加えられた、記紀という神話の役割が、これで完全に終わりました。
天皇という名称をはじめて使ったのも、天武天皇だったとされるので、これで、日本の天皇制と呼ばれてきた制度にも、何らかの変化が生じるのかも知れませんが、このタイミングで、日本を取り戻す主役として登場しているのがオオモノヌシの神です。
三輪の大物主は、出雲の大国主と、同一神と考えられてきましたが、実は、オオクニヌシの祖神にあたる存在らしく、もともとの日本列島の主(アルジ)は自分であると主張しています。どうやら、この神格が、世界中に伝承されている蛇神の頂点に位置するようで、このオオモノヌシの存在が、たとえば、ルドルフ・シュタイナーをして、日本列島が世界の頂点に位置するといわしめた情報の根拠にあるようです。
何のために、日本列島の主人として、再登場したかというと、どうやら、現行人類のたましいの総量が、この宇宙で神の物語を現実化するのに充分なものとなったために、神々のワケミタマのシステムが、自立的に停止していることと関係があるようです。
この宇宙の認識は、約二千五百年前に出たブッダと呼ばれた人間によって、到達された所にまで、この二十一世紀に達しましたが、これを科学と呼ばれる方法で現実化するために、血塗られた一神教の歴史があったことを、人間は知りました。その血塗られた一神教の歴史を作り出したのは、人間のたましいの元となった神や神々と、それに反するものたちが、この宇宙でくり返してきた闇の意識戦争で、それをくり返す限り、この戦いは永遠に続くというのが、物語宇宙と呼ばれるものの正体でした。光の側も闇の側も、共に滅ぶ、という原則が、そこにあり、その滅びは、新たな物語のスタートとなったのです。
私が知るところでは、天武の壬申の乱は、このストーリーを日本列島に投影したもので、勝者だった天武と持統の血筋は、五代で絶えることになりました。そして、天智の血を受け継ぐ、淡海三船によって、第四十一代までの天皇の諡(おくりな)が定められるのですが、そこに大きな情報が宿り、さらには、記紀のハツクニシラススメラミコトが、初代の神武と第十代の崇神天皇に使われていることの意味も見えてきます。
つまり、ヤマト朝廷というものの今日までの歴史は、崇神天皇の時代に、それまでの日本列島の主であったオオモノヌシの神と、物語の舞台として、この日本をしばらく貸してもらうという約束をした神格によって、企画されたものだということです。
この契約の完了に伴ない、オオモノヌシは、日本を取り戻す宣言をしているのですが、その先にあるのは、地球そのものを取り戻すという意志であるといえます。
ほんもののアシハラナカツクニとは、オオモノヌシのクニであるともいえるのです。そこにおけるタミとは、光と闇の戦いの物語を現実するために、人間の身体を与えられた、神や神々のワケミタマではなく、その宇宙を卒業して、改めて、地上に人間として生まれることを選んだものとなるべきだとのプログラムがあるようなのです。
一神教というのは、地球の意識の進化史上に押し込まれた、異物というか、この宇宙の解決すべき問題だったのであり、それが終わった先にあるのは、正常な精神、意識の成長のプロセスなのでしょう。その世をつくるために、オオモノヌシが、動きはじめていると、考えてみてください。これが、日本列島の秘密なのです。
神紀三年(二千二十三年)八月三日 積哲夫 記