3145「黄泉の国と縁の深い日本」2023.8.6 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月25日の記事を紹介します。

「黄泉の国と縁の深い日本」

自然豊かな日本列島は、神々が何億年もかけて作り上げてきました。

氷河期の終わりとともに大陸から切り離され、4大プレートの交わる地で、山や谷ができ、

浄化された水が豊富で、平和な国が形成されました。

そこでは、物質的なモノよりも、神々や自然を敬う精神性が重要視されてきました。

つまり、物質よりも霊、魂、精神が大切であるという、霊主体従の考え方が、深く刻み込まれてきました。

まさに神々が計画した通りです。

それゆえに、物質文明が頂点を極め、物質や、お金至上主義の悪徳の世界が終わりをつげ、

新たな精神文明が花開こうとする今、日本人の「心を大切にする」文明が、活躍する時代となりました。

この時のために、神々が日本列島を作ったと言っても過言ではないかもしれません。

それでは今日は珍しい切り口で、神の国と、人間の世界について書きたいと思います。

春日大社の元宮司、神道の最上階(浄階)まで行かれた、葉室頼昭さんのお言葉を基にご紹介します。

日本神道では

神さまや先祖の皆さんがいらっしゃる国を、「黄泉の国」(よみのくに)

そして私たちが肉体を持って生きているこの世界を「現世」(うつしよ)

と呼びます。

日本では縄文の昔から人々は

この宇宙は、循環とバランスの上に成り立っていると知っていました。

それは神様がビッグバンを起こしてから150億年もの年月をかけて作り上げた世界です。

循環ですから

西洋式の考えの、除去、消し去る、取り去る という考え方ではありません。

私たちの魂も、神々や先祖のいらっしゃる黄泉の国から出てきて

肉体をまとい、一時の間、物質界つまり「うつしよ」で暮らしています。

そして 死とともに、先祖の居る世界、神々の世界。つまり黄泉の国に戻ります。

私たちは誰でも、黄泉の国から、この世界に生まれてきました。

その世界は神の世界ですから

誰でもが、清らかな美しい世界から、この世に生まれたことになります。

つまり、

・意地悪をする人も

・心温かな人も

・聖人のような清らかな人も

・罪を犯す罪人も

全ての人が 黄泉の国から来ました。

つまり、どんな人でも 本来の心根は

清く、美しく、思いやりに富んだ、心の持ち主であるということです。

心の中に恨み、つらみ、憎しみを持ち、地獄のような囚われの世界に居る人は、

現世には、まだ生まれ変わって来れないということです。

これは裏返してみれば、自分にとって、どんな悪人でも、それはその人の本質ではなく、何らかの目的を持って、その役割を演じているだけ・・と言うことになります。

その目的とは

私たちの魂を 研ぎ石のように研いで(苦しみ、悲しみ、悔しさ、恐れ、不安)

魂を輝させるという以外にありません。

その人たちの現世での裏に隠された

・神のような心

・温かな思いやりに満ちた心

を知るのは、お互いが、再び黄泉の国に帰ってからのことになるでしょう。

日本は諸外国と異なり、非常に黄泉の国に近い国です。

その証拠を昔話の中に見ることができます。

では、葉室頼昭さんのお話を基にご紹介します。

浦島太郎は、助けた亀の背中に乗って竜宮城で歓待を受けます。

そこは見たこともないような美しく綺麗なところで、

天井も床も、まばゆく光り輝き、何処からともなく、良い香りが漂い

美しい音楽まで響いています。

太郎は時を忘れ、楽しく過ごします。

(玉手箱を開けたら 300年の時が過ぎていました)

この竜宮城とは私たちが元来た所、つまり黄泉の国のことです。

神々が住み、先祖の皆さんが住んでいます。

その美しい世界は、

・時間もなく

・悩み、苦しみ、心配事さえありません。

幸せそのものの世界です。

そして私たちが生まれた時、無垢の魂は、そのような美しい世界から来たため

心に罪・穢れのシミ一つありません。

赤ちゃんの無垢の笑顔はそれを表しています。

ですが、私たちは、成長するにつれ、大人になるにつれ、その美しき心を忘れ

・病気

・悩み

・苦しみ

・心配事

ばかりの世界に、いつの間にか生きるようになってしまいます。

それは、私たちの心に潜んでいた、いえ、いつの間にか神様の氣を包み隠してしまう

自我(自分さえ良ければ良い)の心が、真実の神の世界を見えなくしてしまったからです。

※これを祓うのが神道では、祓い。清め となります。

もちろん、私たちの魂は、その自我による苦しみさえも見越したうえで、この世「うつしよ」に生まれて来ました。

何故なら、その苦しみが、私たちの心を強くすることを知っていたからです。

私たちの心は、

・食べる物にも困らない、

・悩みなど一つもない

・いつも楽しいころばかりの生活

からは磨かれることがありません。

今、私たちが経験している

・悲しみ

・苦しみ

・悔しさ

は全て 苦しいことではあるけれど、心を輝かせるために一時だけ、経験していることです。

浦島太郎は、玉手箱をもらって、再びこの世、つまり「うつしよ」に戻ってきました。

これは、黄泉の国と、現世を私たちの魂は循環(行き来)していることを象徴しています。

自然と同じく、私たちの魂も 循環を繰り返します。

決して西洋の思想のように、悪だからと、切り取られ、捨てられ、消滅されることもありません。

自分の生活に邪魔だからと、除去されることもありません。

大祓祝詞が示す通り

例え悪であっても、全てを、黄泉の国を通過させ、美しき清らかなエネルギーに変えて戻されます。

この大いなる安心感。循環の心、正邪を超えて全てを包み込む心を、私たちの祖先は持っていました。

私たちは神々の作ったこの宇宙の仕組み

循環とバランスの上で、永遠の魂の向上を目指している最中です。

みんな、同じ道を歩む仲間です。

人も、動物も、植物も。そして自然現象でさえも。

積もった雪が、春になって消えたと言うけれど・・

決して消えてなくなったわけではありません。

水になり、地面に吸われ地下水となり、川の水となり、海に注ぎ、再び雨や雪となって戻ってきます。

私たちの心、魂も同じです。

肉体は脱いでも、黄泉の国(神々の国、先祖の国)に戻り、姿、形を変えて再び戻ってきます。