山口 由美子 不登校を考える親の会「ほっとケーキ」代表
2005年西鉄バスジャック事件から五年がたち、教官が「いまなら」と判断され、私は少年との面会が実現しました。そして彼に「誰からも分かってもらえず、つらかったんだね」と伝えました。彼もまた私に心からの謝罪を述べてくれたと思っています。
その後、彼は出所したと聞いています。今後もう二度と罪を犯さず一生を送ってほしい。それでこそ、私の傷も、被害に遭われた塚本達子先生(幼児教室主宰者)の死も生きるのではないかと思うのです。
事件から二十年以上がたちますが、その後も少年犯罪は後を絶たず、抑止力として少年法の刑を重くしたり、適用年齢を下げようという動きがあります。しかし、そういう子供たちを生み出しているのは、ほかならぬ我々大人社会です。大人が変わらず、ただ刑を重くしても、何の解決にもならないと思うのです。
私自身、事件に会って、ようやく子供たちがありのままにいてくれることに深い感謝の気持ちを抱けるようになりました。
娘の不登校を受け入れたといっても、学校に通う息子たちには普通の社会生活の中で頑張ってほしいと思っていたのも事実です。
しかし、事件後は、子どもたちがそこにいてくれて自分の話をしてくれる。それに「そうだね」と頷けることが何より嬉しい。「お母さん変わった。いまのお母さんにはなんでも話せる」と息子に言われ、初めて自分の変化に気づきました。
何年も塚本先生に学びながら、事件に遭ってようやく先生の教えを真に理解できたのです。このような別れになりましたが、やっと先生のもとを卒業したんだなと思います。
死後、塚本先生は私やご遺族に一つの言葉を残されました。「たとえ刃で刺されても恨むな。恨みはわが身をも焦がす」
これは事故の直後に、先生の御子息が「母の財布に入っていたおみくじの言葉です」と言って教えてくれたものでした。「母は遺された者たちの心のありようまで示唆して逝ってくれました」とおっしゃった時、あの日の先生の驚いた様子を思い出し、もしかしたら先生はきょうここで、ご自分の命が尽きることを察知したのかもしれない、そう思いました。
少年によって深い傷を負い、今も傷あとや後遺症が残る私が、恨むどころか、少年の方が被害者だと主張するのを聞いて、「山口さんは強い」とおっしゃる方もいます。しかし「恨みはわが身をも焦がす」という言葉を思うと、実は私は楽な生き方を選んだのではないかと思うのです。
そしてすべての出来事には意味がある。事件もまた、私にとっては必要な出来事だったと受け止めています。