出したものが還る

40年間仕事場となった現在の山善ビルから
車で15分くらいの以前の会社ではさまざまな
体験をしました。

20年ほど経過して仕事に板金の工事を
加えようとしました。
新しい試みです。
新事業の開始。

そして工事現場の監督としてさまざまな
体験を重ねました。
ビルの外壁を塩ビ皮膜の厚番手の亜鉛鉄板で
覆う工事が始まりました。

材料が向上に到着した時に荷受けをしました
荷を天井クレーンで引き上げ中に荷が滑り落ちました。
右手は操作ボタンを握っているので動かず、
自然に荷を守ろうと左手がその厚い鉄板の
900ミリ*1800ミリの30枚ほどの荷に
いきます。
落下を止められるはずもないのに。

その結果、左手の人差し指の手のひら側の
第二関節あたりを裂傷。
皆さんが驚いてすぐそばの皮膚科の病院に
連れて行ってくれます。
すぐに手術。
左の大腿の筋肉を削りその左手の裂傷の箇所に
盛ります。 痛い!
その場所は年を幾年経ても鮮明な傷跡を示します。

事故も自分が望んだものとしたら。
それを何ゆえに望んだのかとても反省しました。
その後は社内や現場による事故はほぼ皆無となりました。

それから稀有な体験をしています。
とても侵入しやすい会社の事務所に
6回も泥棒さんが入りました。

その時も自分の心に「盗む心」があるからだと
決して泥棒さんを責めることなく、自然に盗難が
なくなる方法をとって無事に切り抜けました。

40年間過ごした建築板金についての工場事務所は
25年間現在の「健康と環境」に関する事業と
並行しながら経営させていただきました。

まだネット販売の始まりの頃、一日に一軒の
ご注文にさえ歓声をあげる自分がいました。
初心はとても大切に思います。
あの頃の次へにかける思いこそが現在の原点と
なっています。

恥ずかしいことながら40年間過ごした会社を
そして本業の事業をたたんで、現在の新天地へと
いざなったのは、そしてその強い決意を促したのは
一つの大事件です。

どこの会社でもいささかはあるかもしれない
金銭の横領でした。
それも半端な額ではない。
そして大変に長期にわたって巧妙に仕組まれた
ものでした。
会計担当のもう一人の方も見抜けないこと。
責任者の横領です。

一か月ほど調査の為眠れない夜を過ごし、
いよいよ確実という日が来ました。
その方に調査の結果を告げます。

いかにも辛い日。

この日をきっかけにすべて売れるものは売って
会社をたたむことにします。
幸運なことに販売先はすぐに決まり、その工場事務所も
そのまま居ぬきで借りていただくことが出来ました。

天に感謝しました。
そしてその決意を下さった横領のご本人にも
感謝いたしました。

決して警察沙汰にすることだけはやめよう。
普段はとてもまじめで、夜遅くまで、そして
いつも最後まで会社に居てくださって、それくらいの
報酬は退職金替わりでいいじゃないか。
そう心から感じました。

金額を5分の一ほどに減額し、現在でもその方には
会社にとっては借入金として返済していただいています。
人生の残りを重い荷物を背負って生きることになりましたが、
明るく生きていただくことを願いました。

すべては自分のことでした。

そして75歳の誕生日を迎えほんとうに最後の
人生の体験をすることになっていたのでしょう。
自分がなしたことの報いは、いつの時代のことかも
分かりませんがなるべく今生で償いたいものと
感じます。

反対側にいる方の気持ちを知る。

それが自分に今課せられた課題となっています。

不運や問題はすべて自分が望んだことと
吉田松陰は語ります。
ほんとうにそうだと今も確信しています。

ありがとうございます。