3260「青空ひろば」2023.11.29 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2023/11/326020231129.html

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。

1134 2023.11.04 ~ 1147 2023.11.18

禅の会の仲間で、学校の先生をしているK君から「大敬先生の授業を参観させて下さい」と依頼され、先日授業を観てもらいました。

その参観の感想文を書いて下さり、届けてくださったので紹介します。

これまでと違った切り口の「大敬さん」の姿が描かれていて、私にも新鮮でした。

私が若い頃そうであったように、精神世界に興味がある人は、どうしても「足元お留守」になりがちです。

そんな「足元苦手」の大敬さんが、覚悟を決めて「学校の先生」を、ヘタクソでも、人より出発が遅くても(45歳で就職しました)、くじけたり、めげたりしながらも、思い返し、やり直ししながら、黙々と歩み続けてきて、ようやくたどり着けた、私なりの「教師の姿」をご覧下さい。

大敬先生、いつも本当にありがとうございます。

先日は大敬先生の授業を観させて頂き、本当にありがとうございました。

ものすごく深い学び、経験をさせて頂きました。

大敬先生の授業を参観させて頂き、学んだこと、感じたこと、思ったことなどを書かせて頂こうと思います。

大敬先生と一緒に教室に入りました。先生はその瞬間、大きな声で「日直、黒板!」(※大きな声はこの時だけでした)と言われました。あわてて日直は黒板を消していました。

この姿を見て、『大敬先生って、学校の先生なんだ!本当に学校の先生をされているんだ!』と、不思議と驚きを感じ、とても嬉しくなりました(『大敬先生は、僕と同じ学校の先生なんだ!』)。

チャイムと同時に授業が始まりました。

リズムとテンポのよい、心地よい授業の始まりです。

休み時間後の生徒が、どんどん集中してゆきました。

その集中のさせ方も、大きな声を出したり、注意したりすることは全くありません。

ただ大敬先生の説明と、それとともに動かされるチョークで、どんどん生徒が授業に引き込まれてゆくのが分かりました。もちろん僕もどんどん引き込まれてゆきました。

禅の会の時と同様、分かりやすい絵・図をすばやく描かれ、生徒とやりとりしながら、「解」を導いてゆかれます。

生徒が「に落ちる瞬間」がハッキリ分かりました。

大敬先生が「ゼロやねん!」と言われた瞬間、教室がピ-ンとなりました。

素晴らしい神社のような、厳かで神聖な感じがしました。「ひとつ」になったと思いました。さらに教室の空気が変わったのがよく分かりました。

大敬先生はもちろん、生徒も、参観させて頂いている僕も、教室にいる全員が「今・ココ」に、ピタッと落ち着けたんだと思います。

大敬先生の授業にはムダがありません。

リズムとテンポがよく、とても心地よいです。

それで、教室が「安心」の空間になってゆきます。だから、ますます生徒たちは集中してゆけるのでしょうね。

「安心」の空間の中で腑に落ちる解説…、生徒は勉強が楽しくてしょうがないだろうなと思いました。

授業の中で「東大」、「九大医学部」の情報なども出てきました。

生徒はやる気を出すだろうなと思いました。

それと、さりげなく「勉強が出来なくても、将来それでダメなわけではないよ」と卒業生の実例をあげて言われて、生徒たちは安心感を持つだろうなあと思いました。

「下駄を履かせる(欠点になった生徒に何とか点数を足して及第させること)」のお話しも、とっても楽しかったです。生徒も楽しそうでしたし、「安心の雰囲気」がさらに広がりました。

コンデンサーに電気を溜めるために、手回し発電機を使い、生徒に実験をさせたところもとても楽しく、教室が温かくなったと感じました。

生徒にハンドルを回させて、「世の中、楽には出来ていない」とか、「努力がドンドン電気になって溜まってゆくはず」とか、コンデンサーに電球をつないで、溜まった電気で光らせて、その光がやがて消えてゆくと「彼のやった努力は、結局この程度のものだったんですね」とか、大敬先生が楽しいコメントをされて、生徒達はみんな笑顔で、笑い声もたくさんありました。さらにさらに「安心」ですね。

あっという間に授業の終わりのチャイムが鳴りました。チャイムと同時に授業が終わりました。

大敬先生の授業の始めと終わりで、生徒の顔が違いました。

禅の会の始めと終わりと同じですね。「大敬ワールド」に引き込まれ、心が解放されるのでしょうね。

「安心」の「大敬ワールド」に入り、生徒一人一人の、それぞれが授業後は「安心の太郎ワールド」、「安心の花子ワールド」を紡いでゆくのでしょうね。そんなことを思いました。

「日直、黒板!」でスイッチが入り、始まりのチャイムから終わりのチャイムまで、ずっと「今・ココ」でした。

だから、時間も空間もなく、一瞬で終わった感じがします。「ひとつ」でした。

授業を通して、勉強をしっかり教えるとともに、禅の会と同じように、生徒の心をどんどん解放し、大きくしてゆけるんだと分かりました。

それと大切なのは、大敬先生が超進学校の生徒達が納得する、引き付けられるような授業をするために、しっかりと準備をされているということです。

教師自らが疑問を持って、納得できるまで自分の頭でしっかり考えること、分かりやすいプリントを自作すること、説明の技術、板書の技術…、学校の先生という仕事にどっぷり浸かり、必要な努力をしっかりすることは当然のことながら大切だと確信しました。

地に足つけて、しっかりと仕事をすること、やるべきことはしっかりやることが大切なのですね。

「天」だけでもダメ、「地」だけでもダメ、しっかりと「天」と「地」がつながらないといけないなあと分かりました。

「地の拠点」がしっかりして、大きくないと、「安心」をまわりに与えることは出来ないだろうなあと思いました。本当に大きなことが分かった気がします。

僕自身、しっかり「地」に足をつけて努力していきます。

「教師」という仕事を選んで、本当によかったと思います。

大敬先生に出会って、心からそう思えるようになりました。

大敬先生のような教師、もちろん人間になりたいです。まわりに「安心」をたくさん与えられるような人に…。

そのためには、やはり「地」に足をつけること、大きな「地」の基地(拠点)をつくって、「天」とつながれたらと思います(しっかり坐禅もします)。

教師という仕事がますます楽しくなりそうです。

二学期が始まるのがとても楽しみです。

以上がK君のお便りです。

私(大敬)も教師として、まだまだ未熟で、日々新しい気づきがあります(70歳まで現職でしたが、現在は74歳ですでに退職しています)。

教師としての時間も残り少なくなって、まだこんな状態なのですから、もう少し早く気づいていれば、もっといい教師になれたのでしょうが残念!

後はK君たちにお任せしましょう。

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2023年11月28日火曜日
3259「希望を与える人」2023.11.28
今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2023年11月16日の記事を紹介します。

「希望を与える人」

光と闇の戦いの中、たとえ「これまでか?」と思うような世相であっても

・私たちは希望を失うわけにはいきません。

・地球を諦めるわけにはいきません。

力もなく、正しい情報を得るすべもない私達一般の人間にできることは、 自分自身の心、魂をきれいに保つこと、他人に左右されることなくしっかりとした自分の意思を持つこと。

身近な周りに優しくすること。

私たちは、

・どんな嫌なこと

・めんどくさいこと

・失敗に見えること

・人の非難を浴びること

・人から怒られること

・時間に遅れること

・病気になること

・ケガをすること

・失業すること

・貧乏のどん底に落ちること

そのようなことが起きようと、本当は全然平気です。

何故なら、ブッダが仰るように、全ての出来事、起こったことは

私と、その人の間の問題ではなく、、、本当は、私と神さまの間だけの出来事だからです。

相手の人は、それを行うお役目を受けて、約束通り、私たちに 嫌なこと(に見える)をしただけなんですから。

それは、どんな些細なことであっても、私たちが生まれる前に決めてきた「出来事」です。

なんで、そんなことを・・ と思われるかもしれませんが 、目的は一つしかありません。

・肉体とか

・生きる死ぬとか

・生きている間とか

そんな小さなスケールのお話ではなく、永遠と続いている私たちの 魂としての歴史、

その魂を少しでも、成長させて、神様に近づけるためです。

そのための、全部段取り、芝居、舞台設定だからです。

そのいろんな劇を通じ、私たちは、激しい 喜怒哀楽を感じます。

喜び、悲しみ

笑い、泣き

感情を揺さぶられながら、少しづつ魂は成長していきます。

周りの人の気持ちを理解することができるようになってきます。

いろんな出来事は、相手と自分の間の出来事ではなく、私と、神様との間の出来事、魂を揺さぶり、成長させるためのものです。

ですから、どんな出来事も、安心していていいのです。

ただ、その押し寄せて来る波にのり、色んな感情を味わいながら、

恨まず憎まず、不平を言わず「今回は、そう来ましたか」とにこりと笑って、

受け入れてしまうだけでよいのです。

後悔することも、焦る必要もありません。

全ては、予定通りなのですから。

さて、今日は「希望を与える人」と言うことで、占い師のお話です。

小林正観さんのお話からご紹介します。

私たちは普段、目に入ってくる「星占い」などを見ると、

心うきうきしたり、少し落ち込んだりもします。

ですが、実際は、自分にとって「良いこと」しか受け取らないようにすることで、

より運命を好転できるようです。

それだけで大分、明るく笑顔で生きられます。

<転載開始> 転載元

ある日、小林正観さんのところに、二人の占い師にまったく正反対のことを言われ、

どちらを信じていいのか、悩んでいる女性が相談にきたそうです。

正観さんは「その答えは簡単だ」、といいました。

それは…その占い師の、まわりにいる人たちを見ればいい。

まわりにいる人たちが、笑顔で幸せそうで、楽しそうに過ごしているかどうかを、見ればいいのです。

聖なる占い師は、見た目は普通の格好をしています。

そして、まわりには、笑顔で、幸せそうな人たちがいっぱいいます。

とてもいい仲間に囲まれている。

一方で、当たらない占い師は、どういう人か。

過度に荘厳(そうごん)で、重々しく、威厳に満ちた姿、形、格好をしている人が多いのです。

そしてまわりには、笑顔で幸せそうな人はいない。

どこか不幸そうで、悲しく、まったく笑顔のない人たちに囲まれているのです。

「楽しいことを予言」する占い師さんのまわりには、たくさんの幸せそうな人たちがいる。

なぜかというと、その聖なる占い師さんは、いつも人が「楽しくなるように、幸せになるように」という願いを投げかけているからです。

一方「悪いことを予言」する占い師さんのまわりには、たくさんの不幸そうな人たちがいます。

悪い予言をした瞬間、予言をしたその人は、

無意識に相手の身にそれが実現するように期待してしまうのです。

そうなってもらわなければ、自分の占いが当たりません。

当たるようにと願って、悪い予言を口にする。

当然、投げかけたものは返ってくるので、その占い師自身も幸せにならないし、

まわりにいる人たちも面倒な人生を歩むことになるのです。

<転載終了>

確かに占い師の方も生活がかかっていますから、自分の占った結果が当たり、評判を良くして、お客様に沢山来て欲しいと願うことでしょうね。

この占いの結果が、当事者にとって、良いこと、希望を持てることであれば、みんなが幸せな気持ちになりますから、宇宙にとって、世界にとって喜ばしいことです。

その小さな希望さえあれば、、、かすかな希望が見えていれば、、、

その後のどんな苦労も乗り越えられることでしょう。

その先に、希望、良きことが待っているのを知っているのですから。

ですが、逆に当事者にとって、不吉なこと、悪いことを仰る占い師さんも多いようです。

それを言ったとたん、占い師さんは、相手の方の「不幸」が実現するように無意識の内に願います。

これは宇宙にとって、世界にとって大変悲しいことです。

何より、「人を呪えば、穴二つ」の例え話の通り、占い師の方にも不幸が訪れることでしょう。

不吉な予言をされた方は、今まで幸せで笑顔で周りと仲良く暮らしていたのに、将来の不幸を暗示されたことにより、

・急に不安感に襲われ、

・笑顔が消え、

・イライラして、

・不機嫌な顔となり、

周りの人に対しても害悪となることでしょう。

同じ苦しい現象・出来事が起こっても、気持ちが明るくはずんでいる時は、何の苦労もなく乗り越えてしまうでしょう。

ですが、暗い気持ちの時、同じ現象・出来事が起きたら、もっともっと気持ちが沈み、

周りに当たり散らし、みんなを不幸にしてしまうかもしれません。

それだけ、気持ちの持ちようと言うのは大切なことです。

ですから、占いに限らず、普段から、自分の口から出る言葉は、良寛さんの愛語のように

・他人に対しては、「良い言葉」「愛情の在る言葉」しか発しない。

・言葉にしない時は、黙って心中で他人へ「愛情のある言葉」を思う。

・言葉に出来ない時は、黙って「愛情のある行動」を他人に行う。

このようなことを心がけて行きたいものですね。

言葉や考え方、心の在り方が、良いも悪いも私たちの人生の行先を決めるのですから。

ブッダが仰ったように、苦しみ、悲しみに沈む相手に対し、希望の光を与えるための善意の嘘も同じ役割です。

ブッダの般若心経の教えのように、

人生の幸せ、不幸せは、心の受け取り方によって決まります。

熊手で不幸をかき集めていては、何時まで経っても幸福は訪れないでしょう。

どうせなら、どんな環境に置かれていようと、

・嬉しい

・楽しい

・幸せ

な気持ちでいたいものですね。

神さまは、置かれたその場所で、花を咲かせなさいと、私たちに、わざわざ、

その環境を準備してくださったのですから。