ヨーロッパのキリスト教文明には、ローマ教皇に関する聖マラキの予言というものがあり、そこでは、ローマ教皇は、現在の百十一代、ベネディクト16世で終わるとされています。
日本にも、似た予言というか伝承があるらしく、それは、天皇は百二十六代で終わるというものだといわれています。現在の今上陛下が、その百二十六代にあたります。
ローマ教皇の百十一代目と、日本の天皇の百二十六代目が、この同じ時代に生きているということです。さらに、マラキの予言では、その最後に次のような一節が記されているとされます。
「そして、七つの丘の街は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。」
いうまでもなく、七つの丘の街とは、教皇のいるローマのことです。
キリスト教文化圏に置かれた、この予言と、日本列島に置かれた情報が示しているのは、第百十一代教皇と第百二十六代天皇の時代に、最後の審判が起きることを示していて、私はこの最後の審判が、ほとんどの人間が知らない間にも進行していることを人間世界に伝える役割を続けているわけです。
どうやら、これが、日本列島に隠し置かれていた仕組みの正体のようで、これらのことが現実化するために、日本史そのものが、天によって用意されたと考えることができます。
早良親王が死んだとされるのは、現在の大阪の守口市にある高瀬神社のあたりだったと伝えられています。つまり、平安京ができる前、長岡京の造営中の摂津には、今日、高瀬神社とされる神の社があったということです。そして、これが重要なのですが、この高瀬神社のご祭神は、天之御中主なのです。
この天之御中主を祭神とする神社は、それほど、多くはありません。そして、美作の早良親王陵のある加茂神社から、よく見える場所にサムハラ神社というものの奥宮があり、この社もまた、天之御中主を祭神としています。そして、この美作出身のある人物が、大阪に出て、万年筆の業界で成功し、自分が信仰した天之御中主の神社を作ったのが、大阪にあるサムハラ神社ということになります。ここにも、大阪と岡山のある種の関係性が示されていて、これもまた、ひとつのストーリーを完成に導くための用意だったとしか考えられないものになっているのです。これらの事象を探究していくプロセスで、私に伝えられているのは、この覚醒のために道を整える仕事を、多くの人間がすでにはじめているということです。
そのひとりといえるのが、田中英道という東北大学名誉教授で、すでに公開されているように、古代の日本列島に、イスラエル人が渡来している証拠として、ユダヤ特有の帽子と髪型の埴輪を示し、彼らがその信仰を捨てて、日本文明に同化した可能性を示しています。これが、私にとっての天之御中主天皇という言葉のヒントです。
天は、天皇というものを、一神教の終わりの時代の型を示すために、日本列島に置いたのではないかということです。
そして、これらの情報が、人知の側に移る時代には、ローマ教皇も、日本の天皇も、その歴史的役割を終えて、新しい情報のもとに、何らかの権威が生まれることを、この天之御中主天皇という言葉が示しているといえるのです。
それがどういうものなのかを、知ることはできませんが、推測することはできます。
天帝たる中国、万物の造物主である一神教の神、それらを一段階上のところで人間の歴史上で統合するための何か、ということです。
天之御中主は天武天皇のための神話のはじまりの神です。それが出るために、日本の天皇のこれまでの歴史があったということです。人間的に考えると、平城京の天武朝が五代にして絶え、天智系に戻った天皇の都が、平安京になるという歴史の背後にある秘密が開示されることと、いまの地球が、一神教の文明から、それを吸収した日本文明への転換を可能にする何かが発動するはずだということです。
その先にある神知と人知の融合した新しい時代の用意が、実は、日本列島でいまも進行中で、その役割を担う、新しい日本人のための知識は、桓武天皇の平安京プロジェクトの中に隠されているといってもいいのでしょう。今回の報告はここまでです。
神紀四年(二千二十四年)二月十五日 積哲夫 記