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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月31日の記事を紹介します。
「日常の中の幸せ」
地球の波動がどんどん上がり、
・思ったことが実現するのに、それほど時間がかからなくなったり、
・波長が異なる者同士は、いつの間にか疎遠になったり
・神様が自然に「人払い」するようなことが起きたり、
・隠されていた闇が白日の下にさらされたり、
色んな現象が起こっているようです。
ますます私たちの心の状態により、引き寄せられる世界が明確に分離していくのでしょう。
今日のテーマは「日常の中の幸せ」ですが、それに入る前に、斎藤一人さんの、簡単な言葉を掲載します。
一人さんは、子供のころから、アメノミナカヌシ神と交流されていた方です。
アメノミナカヌシは、150億年前の、この宇宙創生の時の最初の神様です。
その直後に高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、神皇産霊神(かみむすひのかみ)
要するに結びの力(中間子、弱い力と言われるもの)が現れ、原子、分子など物質世界が形成されます。
では一人さんのお話です。
身近な人が苦しんでいても、過剰に心配する必要はないよ。
ただ信じてあげるの。
人って、それぞれ学ぶべきことを決めて生まれてくるんだよ。
だから、上手くいかなくても、「うまくいかない」ってことを学んでいるだけ。
さて今日のテーマ、平凡な日々の中にある幸せについてのお話です。
鈴木秀子さんのお話です。
鈴木さんは、聖心女子大学教授で、
「死にゆく者からの言葉」
「子どもを傷つける親癒す親」
「あなたは、あなたのままでいてください。」
「死にゆく者との対話」
「臨死体験生命の響き」
などの多数の著作者として知られています。
クリスチャンでシスターでもあります。
そして臨死体験者であり、神様との直接的な接触、光体験をされた方です。
<引用開始>
物やお金にしがみついて、その繁栄だけを求めると、ちょうど切り花を飾ったようで、
目に見える世界はきれいになるし、いかにも幸せそうだけれども、そういうものだけで満たされると、心の空しさが起こってくるんですね。
あるとき、講演でこういう話をしたら、講演が終わったあと、一人の紳士が
「コーヒーを御一緒する時間はありますか」と言うので、ご一緒したことがあるんです。
その方は精神科のお医者さんだったのですが、おっしゃるには、
人間のエネルギーには縦と横の線があって、例えば
・横線を お金や物や地位のエネルギーだとすると、
・縦線は 見えない世界だというんです。
もし人が10のエネルギーを持っているとすると、物欲が広がれば広がるだけ、
縦のエネルギーはなくなるわけです。
ところが、その人がある日、ガンの宣告を受ける。
あるいは会社が倒産したとか、社長にしようと思っていた息子が死んだりしたというような場合、突然頼りにするものがなくなるわけですから、どんでん返しがきますね。
がんといわれて入院してしまったら、どんな大きな会社を持っていようと何の役にも立たない。
そこで初めて、自分の頼りになるものは何だろうかと考えるんですが、そのときに、いかに縦の線を短く生きてきたことかということを、しみじみと感じるというのです。
それまでは8ぐらいあった横のエネルギーが、1か2になってしまうわけですから、
その分を2しかなかった縦の線に振り替えていかなければならない。
そういう人を何人も診てきたけれども、その振り替えがいかに大変かというお話しでした。
私はほとんど寿命が尽きて、いつ亡くなるかわからないような人を病院に訪ねて、
「何かしたいことがありますか」と訊いているんですが、だれかと諍いを起こしたような人がいれば、まず「仲直りをしたい」というんです。
やはり人間には愛が一番大切だから、それに背くような行為があったら、修正して愛でつながりたいという願いが一番強いんですね。
その次に言うのは、「家に帰りたい」ということ。
それから、皆チューブでつながっていますから、「自分の口で食べたい」と言う。
「自分の足で立って、歩いてお手洗いにいきたい」と言う。
ほとんどの人がこういうことをいうんです。
それを聞いて私がいつも思うことは、私がいま会っている人で、自分の家に帰られないような人はいないし、食べ物も自分で自分の口で味わえる。
私たちにとっては、自分の足で歩いて家に帰るなどということは、当たり前のことで、
死んでいく人のように、切実に思う人なんて、いないということなんです。
ところが、それがどれほどの恵みであるか、そういうことには気が付かない。
だから、私は死んでいこうとしている人たちが一様に望むことというのは、生きている人たちへの遺言だと思うんです。
「当たり前のことこそ恵みで、死を間近にして、そのことに気が付くのでなく、いま気付きなさい」
ということを伝えているんだと思うんですね。
何かをすれば幸せになるのではなくて、いまが、幸せなのだということに気付くことだと思います。
<引用終了>
横線である、見えるもの(お金、地位、名誉、財産、学歴)だけでなく、
縦線である、見えないもの(優しさ、愛、友情、いたわり、思いやり、信じる心)も本当に大切ですね。
そして私たちは死が近づくほど、これら見えるものを、段々とそぎ落とし、見えないものの、大切さがわかってきます。
死に際しては、見えないものしか持っていけないのですから・・
・貴方には今、帰る家がありますか?
・待っててくれる人がいますか?
・話を聞いてくれる友達はいますか?
・目は見えますか?
・耳は聞こえますか?
・歩けますか?
・自分で食事はできますか?
これら、普段は当たり前だと思っていること全てが、本当は、奇跡で、有難いことなのです。
私達も死の淵まで行かなくと、病気になったり入院したりした時、同じように思うこともあります。
そんな時は、周りの人の何気ない優しさが、どんなに嬉しく感じることか?
逆に、周りの人のちょっとしたトゲのある言葉に、どんなに傷つくことか?
私達が亡くなる時。
それはもしかしたら、そう遠くない日かもしれません。
本当の幸せがわかっていなかった。
命が何万年もあるみたいに思い込んでいた。
そんな後悔をしないためにも、ちょっと立ちどまり、家族の顔を見るとか、友達のこと、
親切にしてくれる人のことを、少しでも思ってみることができれば、生きているうちに
幸せを噛みしめることができるかもしれませんね。