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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月29日「神様が作った家族」と2024年04月08日 「神さまの氣」の2つの記事を紹介します。
「神様が作った家族」
私たちの本質であり、永遠の存在であり、まさに神さまから頂いた分霊である魂が、
この地球にやって来て、物質存在である肉体をまとって生きる目的は宇宙の仕組み、
つまり神様そのものを学ぶこと
そのために、大本の神さまは最適なシステムを、
この地球に用意してくださっているのだそうです。
それが家族というシステムです。
宇宙の無償の愛を学ぶために、用意されているのが家族や
夫婦というシステムなのだそうです。
生まれる前に、お父さんお母さんの魂と情報交信し、
子どもとして生まれることを了承を得てから生まれてきます。
魂はテーマを持って
「今回の生で、共にこのようなことを学びましょう」
ということでお互いの承認の元にプログラムされ親子となるのだそうです。
子となる魂は、親よりも上のレベルの魂であることが通常だそうです。
また子どもは生まれる際は、純粋な魂そのものであって
自我、我欲は全く無く、宇宙意識そのものであるということです。
魂が生まれてからだんだんと、肉体・顕在意識と同調していきます。
それが、現実社会で学ぶということで、その学びは約束された両親に委ねられています。
神様の目的は
親子・家族というものから、
宇宙(神さま)の本質である「無償の愛」を経験する。ということであり、
そのために家族というシステムが、
地球の仕組みの中に用意されているのだそうです。
ですので、どんな状況(毒親云々、虐待云々)であれ、
この世に生み出してくれた親に感謝ですね。
私たちがこの世で無償の愛の体験をさせていただくために子として産んでくださった。
すべてに感謝です。
そして親も、そのまた親に感謝しかないと。
また逆に親は子どもによって、自分の魂を育ててもらう。そんなことも起こります。
子供たちのように純粋な魂そのもの、自我、我欲の無い存在から
学ぶものはあまりにも多いと思われます。
何故なら、彼らはまだ宇宙(神さま)そのものであるからです。
そして今現在の親子の関係。
自分が置かれている環境、
喜びや悲しみも全ては自分が過去に投げかけた結果であり、
それを学ぶのがこの世、この地球プログラムの目的でもあります。
この宇宙は、自分が投げかけたものが、受け取るものです。
投げかけない物は、自分に帰って来ません。
ですから家族や夫婦の態度や言葉は、まさに自分自身の鏡となっているはずです。
宇宙法則の最も身近な縮図ですから。
全ての出来事が、神さま(宇宙の仕組み)を知るため。
無償の愛を知るための学びのために今起きています。
家族が鏡となり、私たちの進むべき方向を示してくれています。
・病気になったり、
・不登校になったり、
・夫婦喧嘩をしたり、
・我がままや甘えから来る暴言を吐いたりしながら、
様々な現象を通じて親や子に、配偶者にメッセージを送っています。
それが無償の愛の体験になるからこそ、
神さまはこの地球にそのシステムをお造りになりました。
それが理解できれば、
一緒にその目的に向かって切磋琢磨してくれる家族には本当に感謝ですね。
有難いことですね。
「神さまの氣」
さて今日は、神様の氣についてです。
大抵の神社では、お守りやお札に、そこの神社の神様の氣を入れてお配りしていると思います。
そして年月が経ち、ご自分で氣が抜けてきたと感じたら、お札やお守りを神社の古札入れなどに納めに行くと思います。
神社では、それをお焚き上げなどして、神様に元の神の世界にお戻りいただきます。
そうすると、お守りや、お札は、単なる物質になりますから焼却したりします。
ですから、例えば霊峰八海山の山開きのご神事などでは、終わった後
「神さまにお戻りいただきました」と宣言がなされます。
また、誤解されやすいこととして、御守りやお札に神様ご自身が籠っており、
普段は沈黙し、いざという時に目を覚まして活動をする・・
というイメージではなく、神さまの氣に入っていただいたお札やお守りは、
その神さまの依り代、直通電話のような働きをしており、神々は、もちろん、普段から人々のために、あらゆる場所、次元で自由闊達に働いているのですが、
いざという時、必要に応じに、その電話を通じ、その場所、その人の所へいらっしゃるというイメージの方が的を得ているように思います。※個人的な意見です。
もちろん高位の神様は、どの場所、どの次元にも存在できますので
意識を向けるだけで、そこに移動できるようですが、氣を宿した依り代があると、
より感度が上がり、通じやすくなるのではないかと思います。
次元が上がるにつれ、一時に同時に意識をフォーカスできる数が増え、たとえば、一説では、イエスの場合、同時に1万か所、意識を分散できるとのこと。
要するに、同時に自分の分身が1万か所で行動できるということです。
神様に降りていただくということは、春日大社 元宮司の葉室頼昭さんによれば、古式にのっとって、祝詞を上げたりご神事を行うことで、本当に神様がご降臨されるとのこと。
要するにテクニカルと言うことです。
その方法(技術)さえ正しければ、神職の方の人間性に、あまり左右されません。
本来は、清く正しい心の持ち主の神職の方が、ご神事を行ってくださればよいのですが、
同じ人間ですから、神職の方と言えど様々いらっしゃいます。
時には私たち一般人のように、欲望から様々な事件を起こし、新聞沙汰になる方もいらっしゃいます。
生きている間は分け隔てなく、どなたも心を清らかに保つために精進が必要ですね。
・心を振り返ること
・感謝の心を持つこと
・おかげ様、お互い様で、許しあうこと
大切なことです。
どうやって、見えない心を見分けるのか?
それは、小林正観さんが仰っていたのですが、その方の、まわりにいる人たちを見ればいい。
まわりにいる人たちが、笑顔で幸せそうで、楽しそうに過ごしているか?
良き人は、見た目は普通の格好をしています。
そして、まわりには、笑顔で、幸せそうな人たちがいっぱいいます。
とてもいい仲間に囲まれている。
一方で、悪しき心の残る人は、
過度に荘厳(そうごん)で、重々しく、威厳に満ちた姿、形、格好をしている人が多い。
そしてまわりには、笑顔で幸せそうな人はいない。
どこか不幸そうで、悲しく、まったく笑顔のない人たちに囲まれている。
とのこと。
確かにそうかもしれません。
このお話は、占い師の方について仰っていたのですが、神職の方も同じだと思います。
さて神様の氣 、私たちの意識も同じ働きができます。
意識を物や人に宿すこと、飛ばしたりも同じことです。
生霊とか、誰かに見られている気配がする・・振り返ったら誰かがこちらを見ていた。
これらは、意識のエネルギーが飛んだと言ことです。
また意識は、時間、空間の制約を受けませんから、自分自身の過去や未来に飛ばすこともできます。
子供のころ、車に轢かれそうになった。
どこからか「あぶない」という大きな声が聞こえ、助かった。
何十年かして大人になった時、夢を見た。
子供が車に轢かれそうになっているのを見て思わず声をかけてしまった。
よく考えたら、その姿は、子供のころの自分だった・・など
基本的には善意の神々はこの意識の力を、人々をお救いくださるために使っています。
有難いですね。
・私達も感謝の心
・人を思いやる気持ち
などで、周りにいらっしゃる方を、幸せなエネルギーで包み込むことも可能です。
また、その逆もしかり。
ですが、波長の法則、類は友を呼ぶの通り、
自分の出すエネルギーと同質のものを自分に引き寄せますから、
良き方向に、その意識(心)の力を使いたいものですね。