光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+103 ポスト支配者

光文書
(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+103
ポスト支配者
いま、日本列島の怒りが、日本人に向きはじめているとの情報があるので、今回はその報告です。日本人の頭を、いま支配しているのは、この世界を事実上、コントロールしているマネーの波動で、この波動の特質は、滅びた後の世界で生き残るために、マネーが必要、という、強迫神経症とでもいうべき、想念に捕われることです。

いまあるマネーの波動は、マネーを独占する方向で自動的に動き、その先にあるのは、人間社会が利益のために破壊されるという、人間の二極化の動きを正当化するものです。
一握りの成功者と、大多数の貧しき民の間に、これから生じるのは、敵と味方という関係のみとなります。その時代の先端を走っているのは、アメリカのように考えられてきましたが、実は、現在のチャイナがそうなのかもしれません。
アメリカとチャイナのマネーへのアプローチの仕方が違うため、チャイナにおける貧富の差の中にも、マネーの波動の特質が反映されていることに気付くものは少ないのでしょう。しかし、マネーの特質からいうと、資本主義的なルールによるマネーの独占と、共産主義の方法による権力の行使によるマネーの独占の間に精神波動的な差はありません。
ほとんどのモノを所有する現代の支配者は、昔の支配者と異なり、多くの民を所有し、養うこととは無縁なのです。
これが、二十一世紀の地球を事実上、支配している人間グループの価値観です。

価値観というのもまた、精神的な波動なので、それらの人物の脳内宇宙は、この波動で満たされているということになります。そこに、他者、特に弱者に対する人間的感情はありません。
宗教の時代の地球の人間の成功者の願望は、神になること、あるいは神のようになることでした。しかし、デジタル化というか、コンピュータがマネーを支配するこの二十一世紀になると、それらの成功者の目標は、自分だけが生き残ることになったのです。このままの地球が続くと、その成功者たちの願望通りの世界が出現することになります。
文字通り、この世界はディストピア化するのです。
いま覚醒した、日本列島の地の神は、一神教の神の時代の次の人間のたましいのもとたるものが、マネーの神のようなものであることに、怒りを抱いています。
彼らの影響下から、日本列島を取り戻すための戦いが、これから、はじまることになります。地の神々は、祟り神として、いま生きている日本人の意識上に、もうすぐ登ることになると考えられます。この祟り神を、正しく認識し、お祀りすることをしない限り、対象となった人間とその一族は、その怒りからは逃れることはできないでしょう。
神や神々が、そのようなものであることを、多くの日本人は忘れていますが、明治維新の前までの日本人には、それらの知識が常識としてありました。
この世界は、マネーの波動が支配する限り、どちらにしても滅びに向うのです。
そして、この世の成功者たちが夢見ている、自分たちだけが生き残る未来というものは、永遠の闇の中に行くことだと知る日が来ます。
最後の審判は起きない、と信じるものたちが、この人間界に逃げ込んで、そのノウハウを使って、この世のマネーを自らの手元に集めたのです。そして、彼らは、今もサイバー空間で永遠に生きるという夢を追い続けています。しかし、人間は死ぬのです。
死んで、そのたましいは、その罪の重さによって裁かれるというのが、この地球に置かれた神の約束なのです。
この光文書では、その神の約束が果たされて、地球は次のステージに向っているという最新の知識をお伝えしていますが、いまだに、この世界で生きているほとんどの人間は、過去の時空を生きています。最後の審判を受けずに、次の宇宙に行けるたましいは、存在しません。
そのことを、常識とした人間社会が生まれることで、このマネーの力による地球の人間社会の滅亡がくい止められると知ってください。この知識があるのは、日本列島だけなのです。日本列島で生まれる、新しい経済の仕組みが登場することで、いまあるマネーの波動は死に、世界に希望が生まれるのです。
日本をマネーの力に売り渡したものたちは、悔い改めるべき時が来ました。
神紀四年(二千二十四年)九月二十六日 積哲夫 記