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今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。
1384 2024.12.20
恐らく、体が冷えていると寝付けないという状態なのでしょう。ですから、夜食で体の内側から温めようとするのでしょうね。
少し汗をかくくらい運動して、それから温かいお風呂に入ってそのまま寝るという生活リズムにすれば眠れると思います。
私の場合は、歳をとってきて眠りが浅くなって、夜中に眼が覚めて、その後眠れなくなるということがたまにあるのですが、そんな時、坐禅を30分ほどしてから横になると、いつの間にか眠ってしまっています。本当に坐禅は、副作用のない、最良の睡眠薬だと思います。有難いことです。
1383 2024.12.19
とてもよく心理状態の分析をしておられて感心しました。ずいぶん頭の良い方ですね。その分析力は貴重な財産です。これからもしっかり育てていって下さい。きっと「いい人生道の教師」になられると思います。
ただひとつだけ、お忘れのなっていることがあります。
それは、人間は無力で、無知で、自らの願いを叶えるだけの力も、智慧も持たないということです。だからこそ、神や仏さまに、最後はお任せするしかない存在なのです。
努力は必要で、あれこれ工夫して、神に願いがどうすれば届くのか実験してください。しかし、やるだけやったら、もう最後は願いが叶う、叶わないも含めて、神さまに「まる投げ」すればいいのです。叶っても、叶わなくても、それは神さまの愛の表れ、きっとあなたにとって、それが「最善・最高」の結果なのだと信じることです。
そう信じて、決してイライラしたりしないし、困ったとか思わないし、神を恨んだりしない、平安な心境になれたとき、あなたが望んでいたこと以上の、もっともっといいビッグサプライズプレゼントをきっと神さまが下さいます。
1382 2024.12.18
おっしゃる通りですね。「一体のいのち」のことがよく分かっていらっしゃいますね。素晴らしい「悟りの芽生え」をお持ちです。その「悟りの芽」を大切に育てて下さい。それを「聖胎長養(せいたい ちょうよう)」と言います。
私が今飼っているイヌは、ボストンテリア十歳のメス、名前は「モン」です。鼻ぺチャのブサカワいいイヌです。
散歩していると、よく人が寄ってきて可愛がってくれます。不思議なことには、うちのモンは、ヤンキーのお兄さんやお姉さんにとても人気があるのです。
うちのイヌを可愛がってくれている場面の彼ら、彼女らの無邪気な笑顔は本当に美しいなあと思います。ツッパリの囲いなんて本当はないんだなあ、ワザワザ無理な努力をして「幻想のツッパリ囲い」を作っているのだなあと、しみじみ思います。
私も、そしてあなたも、「モン」のように、無邪気にふるまっていながら、なぜか人の「自我のツッパリ囲い」を自然にほどいてしまう人(ほどけ様)になりたいですね。
1381 2024.12.17
私が皆さんに繰り返し説いているのは、実は「あなた」が釈迦だったのですよ、イエスキリストも実は「あなた」だったんですよということです。
いのちはひとつなのだから、過去の、現在の、未来の、すべての人が実は「あなた」なのです。
それが分かれば、特定の人が釈迦やイエスだといって崇拝したり、特別視したりするのはおかしいということがお分かりになるはずです。
それに、そんなイエスキリストの生まれ変わりだと主張する方に、「本当はあなたはユダだったんではないですか?」と尋ねてごらんになって、その人がそれを否定して怒るようだと、その人はきっとニセキリストです。
「いのちはひとつ」なのですから、イエスであるその人は同時にユダでもあるはずなのです。そんな「私のなかにユダがいる」ということも認め、受け入れ、愛し、抱擁してゆくようになれたのが「本当のイエスさま」なのです。
1380 2024.12.15
私の場合は、禅の師から紹介されて、はじめてその女性(現在の妻です)に会った時には、もうすでに結婚すると決めていました。私のような定職がない男と、よく思い切って結婚して福岡から大阪まで来てくれたものだなあと、今考えてみると本当に不思議です。女性は大胆で強いですね。
結婚してから占いで調べてみたら、相性はお互いを傷つけあう関係で最悪、また私は短命の相、妻は後家の相と出ていました。
それで、その運勢が示す通りよく衝突しましたが、お互い思い返し、思い返しして、気分を変え、悪いことはすぐ忘れる努力をして、ここまでたどり着けたのですから、妻も私も、よく頑張ったね合格!とほめてあげたいと思います。それに、どんな悪い運命であっても、必ず好転出来るんだということを実証できたと思います。
あなたの場合は、結婚することにもっともっと本気になって、そのためにやれることは何でもがむしゃらに積極的に取り組もうというぐらいの姿勢が大切です。そういうひたむきな努力をやっているうちに、次第に結婚するぞ!という覚悟がしっかり定まってくるのです。
『いい結婚ができますように』と、お経を称えるのもいいですが、「足運び法」がこの場合有効だと思います。氏神様・産土様(もよりの神社)に何度もお参りして、いい人とご縁が出来て結ばれますようにと祈ります。
そうすると、足運びの回数を重ねるごとに、きっといい結婚が出来るゾ!という確信が強くなってゆきます。そして、ついにそんな「お願いの祈り」が昇華して、『神さまのみ心のままに』という、「全託の祈り」になってきます。
そんな安らかな、神さまにすべてお任せするという気持ちになれたなら、もうしめたもので、神さまも『愛(う)い子じゃ、こりゃ、頑張って相手を見つけてやらにゃ』と全力で相手をさがして出して下さいます。
1374 2024.12.07 ~ 1379 2024.12.14(前日の続き)
[1]黒住宗忠公の歩み
<伝記>
33歳 両親が相次いで痢疾を病み、亡くなる
34歳 悲観の末、病に倒れる(労咳→結核)
35歳 容態悪化し、医者も匙を投げる
35歳1月 死ぬ覚悟を決め、死んだら神になって、自分のように病に苦しむ人たちを救う者となろうと誓う
35歳1月 自分は父母の死を悲しんで「陰気」になったために、「心」を傷め、大病になったのだから、「心」さえ「陽気」になれば、一転して病気も治るはずだと気づいた。せめて、残る息のある間だけでもそのように「心を養う」のが親孝行だと思い定めた。以下の行の実践で快方に向う。
<宗忠公の心を養う行>
① 感謝行(生かされていることのありがたさを感じる)
② お神酒(三き→三つの<き>)行→「有り難<き> また面白<き> 嬉し<き>と <みき>をそのうぞ(供うぞ)誠なりけれ」
③ 和来(わらい)行(微笑み、笑う行)
④ 味わい行(見るも聞くも一々深くしみじみ味わってゆく)
⑤ 日拝百日行(日の出の太陽を100日拝む) (続く)
<宗忠公の天命直授(てんめい じきじゅ)>
35歳3月19日 入浴して日拝したいと言い出す。妻はとめたが、入浴を期に一気に全快した。
35歳11月11日(冬至の朝)<天命直授>
日拝して祈っていると、太陽の陽気が身体全体に満ち渡り、肺腑に照り徹るような気がした。身に迫ってくるその一団の温かい玉のようなものを、しっかりと胸におさめ、まるごと呑み込んだと思うと、何ともたとえようのない、さわやかな、よい気持ちになった。
→「天地生々の霊機(いきもの)」を自得した。「天照大神と同魂同体となった」
35歳 下女がにわかな腹痛→腹部に手を当て、陽気を吹きかけたところ、腹痛はたちまち癒えた。これより、多くの病人が押しかけるようになった。
[6]宗忠公の癒しの実例
① 手当て ② 陽気を吹きかける ③ 祈り ④ コトバの力
<慢性病から回復>「人は生きものは心ばかりで、肉体は心が活かしているのですから、心を清水のように澄ますときは病はありません。病は心を濁したから生じるのですから、心さえ澄ませば直ちに病は消えうせるのです」と説く→全快した。
<26年越しの溜飲(のどが詰まり飲食出来なくなる病気)で必死の状態>「形は病に任せて心は天照大神と御一体という心になりなさい。今より心だけはさっぱりと平癒なさってください。そうすれば形も直ちにお治りになるでしょう」→平癒し、元気に出勤出来るようになった。
<末期の門人>「天てらす神の御心人心 ひとつに成ればいきとうしなり」
という歌を説き聞かせたところ、苦痛を忘れ、それより快方。前代未聞のこと。
<長年の病気をクドクド嘆く人に>「そうですか。それは貴方は病気に負けておられるということですね」→その一言で全快
<笑う修行をすすめる>肺病の人「長々の御病気でお困りでしょうが、そのように陰気になっていてはおかげはいただけません。今日より神前で御拝をするたびごとに、つとめて笑う修行をなさってください」→全快した。
<婦人病の女性>18年間の難儀、長らく黒住家に滞在したが病気が治らない。
失望して暇乞い。宗忠公に「祈りとも しるしなきこそ しるしなれ 祈る心に誠なければ」と諭される→深く詫びた途端に病を忘れ治った。
<ライ病にかかった高禄の藩士>「ただ一心に有難いを百遍称えなさい」と指導→治らない→「では、一心不乱に千遍ずつ称えなさい」→治らない→「では、一万遍ずつ称えなさい」→7日目に発熱吐血して気絶。目覚めれば治癒していた。
[2]宗忠公の和歌
○ 天てらす神の御心人ごころひとつになればいきとふしなり
○ 有りと見て無きこそおのが姿にてなき姿こそ生きとふしなり
◯ 有る物は皆吹きはらへ大そらのなきこそおのがすみか成りけり
○ 日々に朝日に向かひ心からかぎりなき身とおもふ嬉しさ
○ 水中(みななか)にをし出す船に乗移りかぜにまかせて行くぞたのしき
○ たのしみも我が楽しみとおもふまじ ただ天地の楽しみにして
○ むづかしくおもふ心ぞ地獄なり やすく嬉しきこころごくらく
[3]宗忠公の書簡
・おそれながら、ご自身をご自身と思われず、天地のものと思われればただありがたいばかりになります。
・お心に歳をよらせず、万事天地自然にうち任せて、いつまでも「子供の心」を離れず、形のことはお忘れになって、お暮らしになれば、自然とおかげは現われましょう。
・行くも帰るも生も死も天地。
・何事も何事も、一切天にお任せなされれば、まことに不思議とうまく参るものです。
・形は病気に任せ、心は天照大御神と一体という心になりなさい。心だけがまずさっぱり平癒されたら、形も自然と治ってしまうでしょうと話したところ、不思議なるかな、26年の病がその場でお治りになって、まことに夢のようです。
・大難と思っていたことも、天命のままにお任せしていれば、結局は有難いことだったんだとなることがよくございます。ここを考えると、 「難有り」が「有り難し」なのです。
・ 心ひとつ開けますと、一つも苦しみはありません。何につけても楽 しく、ありがたいことばかりです。
・みな天のなさることですから、何事も勤まらないということはございません。