光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+116 記紀の終わりと三天皇

Vol.800+30+116

光文書
(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+116
記紀の終わりと三天皇
この二千二十四年に、日本列島の歴史的役割を規定していた記紀の時代が終わり、いままで続いてきた百二十六代の天皇の中で、最も重要とされる、三天皇が復活されました。
その三天皇とは、後鳥羽、土御門、順徳の各天皇であり、これらの天皇の次には、武家の政権が明治維新まで続くことになります。
孝明天皇の暗殺ではじまった明治維新と、その後の歴史の暗部は、千九百四十五年の敗戦後も長く世には出ませんでしたが、歴史的に見ると二十一世紀の初めの頃には、「最終知識」で記されたように、表に出るタイミングを迎えました。それから、ほぼ四半世紀の時を要して、これまでの日本を規定してきた古事記と日本書紀という日本神話の結界も切れたということです。

記紀は、白村江の敗戦と壬申の乱という歴史的大事件の結果生じた日本列島の危機を、天武と持統という、天智の弟であり娘である天皇が、克服するプロセスで製作されたもので、当然、そこには神界の関与があったということになります。今回、その結界が切れたことで、持統天皇が即位後に、三十数度に及ぶ、吉野への行幸をしていたという歴史の秘密も、開示されることになるのかもしれません。
この記紀によって、作られた天皇の権威が弱まり、武家政権に移行する時代の天皇が、後鳥羽、土御門、順徳という三天皇なのですが、このタイミングで復活をされたということは、日本史の中における天皇の役割に、まだ、何らかの秘密のデータが隠されている可能性があるということです。

すでにお伝えしているように、日本の天皇制(ここではあえて、天皇制という言葉を使います)の歴史的役割は、百二十六代の今上天皇で終わることになっていますが、この天皇制という左側のイデオロギーの立場から付けられた言葉にも、多分、大きな意味があるのです。
それは、これから日本で、日本人の意識上で、天皇という人間界のシステムが、左翼イデオロギーの影響のもとで形成された歴史観を克服していくという事象が進行していくことだと、私は推測しています。
日本人が、戦前の日本は悪かったという、歴史観の刷り込みから解放されるタイミングが、戦後八十年の二千二十五年とされていることを考えると、この天皇制、または、天皇というシステムの再評価のはじまりが、来年というのにも納得がいくからです。そこで、三天皇の何が再発見されるのかというと、この三天皇のみたまを保持してきたのは、日本の剣神界であったという歴史的事実です。つまり、後鳥羽天皇が自ら日本刀を作ったというところから見ても明らかなように、武士道精神のルーツにも、天皇という存在が再発見されるのです。
これが、神武の東征にはじまるアマテラス天皇の神話の時代の終了に合わせた秘密の開示だとすると、次のアメノミナカヌシ天皇の姿が、自然に浮かんでくるはずなのです。
アメリカのハリウッド映画のスターウォーズには、日本神界の関与があるというのが、私の知らせている情報なのですが、その物語の最大のテーマは、精神的エネルギーです。
この精神的エネルギーを正しく学んだものは、光の剣を使える戦士になるというシンプルな物語なのです。
この地球的な精神進化のひとつの形が、歴史的に、日本列島において、天皇、スメラミコトとして保持されてきたものです。人間の聖なる力を高める、このシステムが日本列島から、世界に向けて解放される日が、聖書の約束の日と重なるのです、というメッセージが、そこに隠されているということに、これから人類は気付くのです。
その知識を伝達するのは、すでに宗教の役割ではありません。
神の物語の主人公として生きるのは、いま生まれている子供たちなのであり、彼らの脳内に正しい宇宙の像が結ばれれば、彼らは自分の小宇宙の救世主となり、最後の審判の実行者、証言者として、新たな宇宙への旅へ出る約束がなされるということです。これらの用意を整えたのは、誰なのか、考えることができる人間ならば、すでに答えは見えています。
すでに、人間の世は、この段階にまで、到達しているということです。もうすぐはじまる二千二十五年が、その本番となります。
神紀四年(二千二十四年)十二月二十六日 積哲夫 記