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光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.800+30+152
月の時代、はじまる
いよいよ二千二十五年も九月に入りました。精神学の出発の信号は、千九百九十一年の九月二十七日に上陸し、全国に大きな被害をもたらした、台風十九号、一般にリンゴ台風というものによって、神社のご神木が次々と倒れた時に出たとされます。
そのシンボルとなったのが石川県の白山ヒメ神社のイザナギ、イザナミ、キクリヒメとされた三本杉の巨木でした。この三本杉が倒れた後に、私、積哲夫は、シラヤマヒメさまに呼ばれて、この仕事をするために、紙のオフダに神気を宿す能力を授けられたのです。その長き歩みも、この九月二十七日からは、三十五年目に入ることになります。その歩みは、「最終知識」とこの「光文書」に記録されており、これは、日本の仕組みという精神界の巨大なプログラムが、人間の言葉として、意識上に登った記録として、残されるべくして用意されたものだと伝えられています。つまり、これが私を司った神の証明、あかしとなるのです。その積哲夫を司った神はアマツツキと名乗りました。はじめ、そのアマツツキの光を私は託されたのですが、光を託されるということは、その闇のエネルギーを光の情報として処理するという途方もないハタラキを要求されるということだったのです。
それを、人間の言葉として、私は、「知るということは、担うということ」として伝えてきました。この世に、神や精神界のことについて知りたがる人間は、多くいましたが、それが担うという段になると、極端に人間の数は減るということです。それは、人間のことだけではなく、神々と呼ばれた存在も同じだったのです。
精神界を映したものが人間界です。その人間界が、ほとんど魔界の波動で満たされていたのは、精神界における神界が、そのエネルギーを失い、魔界の軍門に下る神々も、多数いたということです。そういう話を三十五万年という時間のスパンで記述したのが、出口王仁三郎の「霊界物語」というものです。
この霊界の三十五万年の物語を、この地球の現実界、物質界に投影したものが、モーゼから今日までの三千五百年という、世界の歴史だったのです。
この現実界、物質界の歴史に、この日本列島が登場するのは、後半の部分で、それは約千三百年前ぐらいのことになります。しかし、その前半のすべての精神エネルギーデータは、この日本列島に蓄積されていて、最後の最後に出ることになっていたというのが、日本の仕組みというものの到達点だったということです。一神教の神の問題は、実はマネーの問題でもあり、これが霊界物語の霊主体従のものと、体主霊従のものとの戦いの根本にあったことを教えるために、祟り神たるウシトラノコンジンは、金神という漢字が使われていたのです。
この金神が、日本にスサノヲ神と共に帰還を果たしたことで、日本の仕組みは最後のステージに移行したということになります。その出発が、この九月ということです。
ここまでの精神界の仕組みの解読で判明したのは、いま生きている人類の強欲の原因が、神の「わたしは妬むものである」というところにあり、これが、すべてを所有したいという人間の動機付けのもとにある闇のエネルギーだったということです。
この神の問題を解決するために、浄化力を持った人間を生み出すために、これまでの歴史があったということです。
この闇のエネルギーがある限り、人間は、いま以上の知識に到ることはできないため、この地球という場に閉ざされてきたのです。それを観察、または監視していたのが、月というもので、地球を学び終えたら、その月にある情報系にアクセスできるというストーリーを、日本列島に置いたのが、かぐや姫の物語ということです。
日本列島が、ここに到ったことで、これまで、アメリカが主体だった、宇宙的な知のデータとのコンタクトの時代が終わることになります。
日本語が神界語だという情報は、精神学協会によって人間界に伝達されましたが、宇宙語の基本構造は、日本語に似ているのかも知れないという所にまで人知は到っています。この先に、かぐや姫の物語が示す宇宙由来の意識体とのコンタクトがはじまると、精神学が伝えてきた、意識エネルギーというものの波動特性が人知に加わることになります。そこに到るためには、人間のたましいが、闇の地球を卒業する必要があるということを知る時が来るということなのです。
神紀五年(二千二十五年)九月四日 積哲夫 記
この光文書に合わせて通信が届いているようですので、掲出しておきます。
2025年8月20日(水)23時24分から
てるつきの ひかりのもとに
ありしもの
つきを しるらむ
みことのりかも
(つき)