光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+153 リ・ボーンとは

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光文書
(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+153
リ・ボーンとは
この二千二十五年の九月に入って、日本は千九百四十五年の敗戦で、国土をアメリカに明け渡しただけでなく、戦後四十年の千九百八十五年には、コンピュータ上のサイバー空間まで、アメリカに差し出したという情報が、精神界からもたらされています。
最も成功した社会主義的システムとされた、戦後日本型の資本主義は、この時を境に、アメリカ型の株主資本主義に置き換わり、このまま推移すると、ある日からガイコクの主人のために働く日本人という悪夢が現実化します。

ここまで出たデータではっきりしたのは、いまの日本人のたましいは精神界という場を反映して、ふたつのテーマに分けられるということです。
ひとつ目は、昭和のたましいで、これは多分、昭和に生まれた日本人には共通して、一神教のテーマが書き込まれています。
ふたつ目が、平成や令和のたましいで、彼らのたましいは、精神学が世に出た後のテーマが書き込まれています。つまり、審判の時代の予告です。
ひとりひとりの日本人のたましいが、こうしたテーマに目覚めることは、いまの社会では、ほとんど不可能ですが、その覚醒の可能性もまた、最後の一厘の仕組みでいうと、千人に一人ということになります。
そして、日本列島の覚醒のためには、一万戸柱という言葉が降ろされているところから、一万人ほどの覚醒者、光の戦士というべき人材が必要ということになります。では、千人に一人という数字をいまの日本の出生数にあてはめると、二千二十四年の日本の出生数は六十八万六千六十一人に過ぎません。

目覚める日本人が、その千分の一ということは、六百八十六ということです。
日本人へのたましいの配分は、シラヤマヒメという神格の仕事ですが、いまの日本人の全員のたましいには、ほとんどすべて、審判の予告が組み込まれているといってもよいのです。
これには、日本人に生まれるのは、人間として地球で生まれたものの最後のチャンスということもあり、それらの情報は潜在意識、あるいは集合的無意識といわれる領域では、共有されているはずです。
ところが、いままでの日本で、彼らの覚醒は起きませんでした。
理由は、最後の審判を否定する勢力が、いまの人間社会を支配しており、人間が覚醒しないよう、コントロールしてきたことがひとつ。もうひとつは、最後の審判の時代に耐えられるだけの人間的な用意が、整わなかったということです。
古い精神界のシステムでは、覚醒に到るためには、大きな試練を経験しなければならず、その多くは宗教的な知識の中にあったため、多くのたましいは、その道を選ばなかったということでもあります。
その代替物となったのが、次元の上昇、といったアメリカ由来のスピリチュアリズムでした。しかし、それは一神教の文化圏で生まれた、神の過去に直面しないで何かを知り、どこかへ行こうとする現実界からの逃避プログラムに過ぎません。
その結果として、いまの日本は、精神文化的には完全なカオスなのです。
この今の日本人のたましいのあり方を見て、精神界から「リ・ボーン」という言葉が、届いています。ウシトラノコンジンたるクニトコタチの大神の日本帰還によって、日本列島上には、アメノミナカヌシの神格の用意も整いつつあるので、ここから先は、生きている人間のハタラキが求められるため、あらかじめ降ろしておいた日本人のみたま、たましいをリ・ボーンさせようということのようです。
すでに、このまま死ぬまで生きれば良いと信じてきた昭和のたましいの中では、死は終わりではないという言葉が、意識上に登りつつあります。
一方で衰退する日本しか知らない、平成、令和のたましいの中には、このままの人生しかないことへの疑問が芽生えつつあります。
生きていながら、新しく生まれ変われる道が示され、そこから未来への希望が生まれる仕組みを、天は用意しているようなのです。その生まれ変わりの入口が精神学というものです。
神紀五年(二千二十五年)九月十一日 積哲夫 記