光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+161 日高見の光

光文書
(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+161
日高見の光
この二千二十五年の十月二十六日に、私は福島県の安達太良山に登り、日高見のクニが新しい光のもとで復活したことを確認してきました。いまの日本にかつて存在した日高見国の記憶はほとんどありませんが、かつて、この日本列島には、日に向うクニとしての日向と、日を高くに見るクニとしての日高見のクニが存在し、それが二本の柱として、ニホンが形作られたというのが、精神界のデータにはあるのです。そのことは、「最終知識」に書いてあります。今回は、その記憶を持つ神々が復活して、安達太良山に新たな光の柱が立ったのです。これによって、日本列島は、古事記、日本書紀という神話の時空を卒業し、新しいヒノモトの時代の扉を開くことになりました。
これを、日高見国の岩戸開きといってもいいのかもしれません。明治維新の時に、会津藩が受けた理不尽な処遇は、実は、明治政府の不完全さを歴史上に残した、ひとつの証拠であり、その統治の正統性を回復するための精神界からのはたらきかけは、これからの日本で本格化することになります。

精神界は、かねてより、薩摩の教育と、会津の教育を融合させたような日本精神の復興策を、人間界に求めており、これによって、何か新しい動きが、人間界ではじまることになると考えることができます。
なぜ、薩摩と会津なのかというと、江戸時代においては、それらの藩が、日向と日高見の精神的エネルギーを引き継いでいた、全国的な影響力を持っていたところだったためだと考えられます。さらにいうなら、この両者の関係は、明治維新後も続き、西南戦争においては、会津藩の武士出身者が主力となった警視庁の抜刀隊が、政府軍の農民兵に広がった薩軍武士団への恐怖を打ち消すはたらきをしたと伝えられています。そして、この歴史は、日本列島のまつりごとのあり方に、長州出身者の総理大臣の多さという事実の背後にある、力関係の存在を示しているともいえるのです。明治維新の結果の長州による東京政府というものが、終焉の時を迎えるタイミングを示すのが、今回の日高見の復活というものの背後にある、日本の仕組みの発動ということになります。それは、たぶん、伊勢と出雲という関係よりも、はるかに古い日本列島の記憶と繋がっており、それは、もしかすると縄文時代にも及ぶ大地のデータです。

日高見に光の柱が立ったということで、次は、日向にも、その光が立ち、日本列島では、次の用意が整うことになると考えられますが、その時は、この光文書が千回を迎えるまでには来るはずです。
精神学の歩みでいうなら、いちばん最初に、私の頭の中に押し込まれた日本神界のデータは、このようなプロセスを経て、どんどん現実化し、わずか三十五年の期間で、ここまで来れたのです。
フクシマ、フクシマ、という言葉で、日高見の秘密に導かれた私でしたが、その名は、二千十一年の地震と津波と原発の事件にも関係しており、そこの秘密が表に出なければ、日本の仕組みの本格的な発動には到らないことになっていたのです。そして、その日高見の秘密とは、いまの日本にある過去のデータをいくら調べても、ほとんど、何も分らないものとなっています。しかし、蓋は開いたのです。そこから、言葉としてのデータが、人間界に伝達されることになり、精神学を学んで能力を開花させた会員がそれを受信しています。
それらの言葉は、積哲夫ラジオをはじめ、精神学に関連する情報を一般に公開している、ゴッドブレイン・チャンネルで、これから公開されることになりますが、そこで示されているのは、日本全体が、いままでの闇の中から抜け出して、光の方向に動き出しているという、覚醒のシグナルです。
この光文書が終了する千回目は、二千二十六年の一月八日となります。
その日までに、精神界の用意が全て整い、日本に新しい光の時代がくることは、ほぼ確実なところにまで来ているということです。
神紀五年(二千二十五年)十一月六日 積哲夫 記