ささやかな日常の思い出

誰にでも印象に残るできごとってあることでしょう。
今日の森信三さんの「一日一語」
6月17日
「如何にささやかな事でもよい。とにかく人間は他人のために尽すことによって、はじめて自他共に幸せとなる。これだけは確かです。」
渡辺さんは毎日毎日ホームで更新なさっています。
北海道のなおちんのブログから、
道を尋ねられたあとの行為へのきがかり。
それは過去の出来事が生んだ経験的行為だった。
ぶろぐそらさんの「マザーテレサの言葉」
〝脳卒中や天然痘や癌やいろんな病気があります。これは決して怖い病気ではありません。世の中で一番怖い病気というのは、「あなたのような人間は、この世の中に居ても居なくてもいいんだ」と言われるほど孤独という怖い病気はありません。〟


インド、カルカッタでの町での巡回で、「死を待つ人の家」の車は、
街路に横たわる人々をみつけ、連れ帰る条件は、食べ物を示しても
手を伸ばしたり、口をつけることも出来ない人といいます。
ある日のできごとを思い出しています。
住む町は名古屋の駅から徒歩15分くらいの、オフィスと住居が入り混じった
ような地域です。
近くには戦後まもなくから、ハローワークがあり、
仕事を求める方が朝早くからたむろしています。
宿をもたない人々が都市高速道路の高架下に
仮宿を設置したりしています。
また近くには多くの無宿の人々がいた白河公園が
あります。
今は万博の影響で、テントはすべて撤去され、無宿の人々は
近隣に散っていったようです。
朝、出勤。
歩いて駐車場に行くため、家の近くの横断歩道で
信号待ちをしていました。
青に変わって歩き始めようとした時、一見それとわかる
無宿の人に声をかけられました。
「どきっ!!」っとしました。
「兄ちゃん、食い物ないけえ。?」
兄ちゃんはちょっとうれしかったですけど、
食べ物をもっているわけもないので、
「もってないよ。食べ物なんて。」と返したら、
彼はだまって立ち去りました。
ちょっとホットして再び歩き始めたのですが、
突然に脳裏に
「彼はキリストかもしれない。」って浮かびました。
それで後姿の彼に追いつき、
「食べ物ないけど、これで何か食べ物かってください。」って
500円渡しました。(ちょっとケチ?)
そうすると彼はそれをスット取り去り、
まただまって去りました。
ああ なんだかよかったって思いました。
やっぱりキリストだったんだ。(笑)
それでとても爽やかな、きもちになれました。(単純)
もしあの時、そのまま立ち去っていたなら、
今こんなお話しできないし、ココロの中にきっと
今の今までずっとたまっていたでしょうに。
ほんとにキリストさんにありがとうって言いたいです。
昔はもっと多かったって、家内は言います。
山田善兵衛さんの奥さんは、そんな方が
家の玄関から入ってくると、必ず何かを
渡したとか。
すてきなおばあさんだったんですね。
おばあさんは写真嫌いで、一枚も写真ありません。
だけどそんな話しが、アタマに残っていたから
出来たのかも。
おばあさん ありがとうございます。
見守ってくださって。