「光景のなかに見えるもの」
視界がキラキラする。
たまにあるのだ。
信号待ちの車の窓から見える洗濯物。
きいろ、あか、みどり、みどり、きいろ、しろ。
タオルと作業着が交互に吊るされ、風になびいている。
野生で繁殖する黄色い花。
コスモスみたいな、ひまわりみたいな。
街路樹の根元や駐車場のフェンス沿いに
雑草並に生えてる。
あれは今日の昼間、散歩に出た青山さんが摘んできたのと同じ花だ。
今は、食卓のコップの中。
長いまま生けてある。
「あぁ、うつくしいなぁー 」
この仕事が好きだなー、と思う。
しみじみ・・・
あたしは今、ここにいる。
あたしの今いる施設には、
毎日辛い、痛いといってる人もいるし
口の悪いことばかりを言う人も居る
ご飯が上手にたべれなかったり
昔のことと今のことがまぜこぜになってる人がいる。
これはこれでこの人たちの役なのだと思った。
今の、お仕事。今の。
それは、あたしがかえることじゃない。
どうにかすることじゃない。
ただ、いま、見ているものだと思う。
ただ、見て、知っておれ。
そらさず、憎まず、逃げず、否定せず、
焦らず、正さず、正当化せず、解釈せず。
変えることが出来るんじゃなく、今という時間を一緒に過ごすだけだ。
ほんとに出来ることを、してあげるんじゃなく、するだけだ。
青○さんと花を生ける事がたのしかったり、
ご飯が物凄くまずい、と話す○井さんの話しに相槌をうったり、
お風呂に入っても、すぐ眉毛をボールペンで描く深○さんに挨拶したり、
30分置きに「おしっこぉ~」と言う○倉さんを40分置きにトイレにつれてったり
「はやくしろー」と怒る南○さんにご飯を食べさしたり、
それを愉快だったり面倒くさかったり余裕だったり焦ったりする自分で、
一緒に過ごしているのが楽しい。
これでいいんんだ。これ をするんだ。
そう思うことが、なにかへの合図みたいに
つぎがやってくる。
ここではないどこかへ思いを馳せるのではなく、
ここではないどこかへ行き着くまでの準備を、
今ここでするんだ。
じゅんびをするために今を生きるのではなく、
今を生きることが、遠くない未来に行くであろう
ここではないどこかに行くための準備となるのだ。自然と。
それがあたしにとっての「今を生きる」。
それからのはなしだ。
それからのはなしだ。
それからのはなしだ。
それからのはなしだ。
あの人たちも昔を生きてる。健康だった頃。
ここではない未来を見てる。もっと自由に暮らせる場所。
ここに居付いてしまった今を片方の指で押さえながら
もしもの先や、本当はの昔をもう片方の手でなぞってる。
それが、今の、役。
沢山の人が、にんげんを見せてくる。それがいとおしい。
あたしもにんげんで、一緒に過ごせる。それが楽しい。
ありがとうございます。