二人の父親がわり 4

中学校の校庭で、大きな八百屋さんの自転車の
運転練習。
なんどもこけます。
近くでお兄ちゃんの怒声。

ちょんちょんちょん駆け乗る。
バタン。
何日繰り返したのだろうか。
二週間くらい続けて、やっと乗れた。!!

ずっと付き合ったお兄ちゃんの嬉しそうな顔。顔。!!

でかい自転車が乗れれば、小さいのはOK。
それでやっとアルバイトもできて少し家計の役に立つ。

魚釣りの大好きだったお兄ちゃん。
一緒によく稲永埠頭に出かけました。
自転車の後ろに乗ってお兄ちゃんの腰につかまります。
釣れても釣れなくても帰りはラジオの「岩窟王」が
楽しみ。
ラジオ放送にどきどきしながらの家路です。

とてもなつかしい思い出。

令和元年1月彼は旅立ちました。
78歳。最高の人生。
硬派、勉強家、正義を重んじる男。

父親のいない家庭の父親がわりです。

兄はとても厳しい。
幼い頃はみかん箱机のそばにいて、漢字が書けないと
ピシャリ。鉄拳が飛びます。
恐怖に頑張る。
お陰様がずっと先に実りました。

半官半民の大会社に就職。
いくつもの関連会社のトップを歴任。
十分な財と生き方を後進に残し、他界しました。
立派な人生でした。

兄は世の中が情報社会になることを
知っていました。
情報ツールであるパソコンを習わせ、
その頃まだ先端的であったファックスの導入も奨めました。
NTT以外のポケットベル会社の設立にも関わり、
電気畑を48年間歩き続けました。

その兄の自転車講習のお陰で、雪印ローリー(今のヤクルトのような)の
配達のお仕事につけたのは、小学生5年のことでした。
少しでも家計の足しに・・・が願いです。

M薬局が雪印ローリーの販売店代理店。
1週間ほど店主について配達に回りました。

そしてやっと一人で配達できる日になりました、当日は雨。
恐いので、自転車には乗らず歩きました。

しばらく行ってバランスを崩しガチャン。
倒してしまいました。

ローリーの肌色の液が道に。

泣きながらお店に戻りました。
一ヶ月のバイト代を越える損害です。
それも初日。

「おじさんころんじゃった。・・・・」

泣きじゃくって言います。

「まあちゃん 大丈夫か。?怪我してないか。?」

怒られるとばかり思い込んでいた泣きじゃくる
子供にかけられた言葉です。

その後、何十年もあとの出来事です。
会社の経営者となって間もない頃の30代。
夕刻、会社に社員さんから電話がかかってきました。
「専務!高畑の交差点で事故しちゃって・・・。トラックが横転してます・・・。」

「大丈夫か。? 怪我なかったか。?」
口からとっさに出た言葉です。
人間はされたようにするなあと強く思って、
M薬局のおじさんの顔が浮かびました。

父親代わりの兄、寛大なM薬局のおじさん。
宝物のようなご縁の人生です。

素晴らしい体験と、お人とのご縁が自分を作っています。