ひろ・にゅうすVol.41
2004.1.1
あけましておめでとうございます。今月はひろ・にゅうすVol.39で紹介させていただいた
「お天道さま、ありがとう」母の手を忘れた日本人へ(東城百合子著 サンマーク出版)の中から「お母さんの詩」という文を紹介させていただきます。
お母さんの詩
私の料理教室や全国各地のグループのもとには、そのように家事や育児ができずに「母」を忘れたお母さんたちがたくさん来られますが、皆さんとお話をするたびに思い出す詩があります。かなり以前ですが、テレビのある婦人番組で「お母さん」と題した詩が朗読されました。わたしはその詩を聞きながら、涙が流れて流れて止まりませんでした。
それは、長野県に住む当時40歳の主婦の方がご自分のお母さんに当てた詩です。
いつまでも、わたしの心に焼きついています。
お母さん
村一番の働き者だったばかりに
所望されて貧しい農家から
豪農に嫁いだお母さん
黒光りのする大きいいろりに
丸太木が赤々と燃えていても
嫁の座はなく 凍てつく夜も
ゆかに座って大所帯の着物を縫い
朝は夜の明けぬうちに
野良へ出たというお母さん
仕事がはかどれば
根気なしの一たん仕事よと皮肉を言われ
仕事がはかどらなければ
青虫が這うようだとののしられ
声を殺して泣いていたというお母さん
空腹のときは生大根を抜いて
畑のすみでかじったというお母さん
なぜ! なぜ! お母さんは
奴隷のような生活に耐えていたの
子供を置いて飛び出さなかったの
わたしは歯ぎしりしてたずねた
そのときお母さんは言いましたね
野に住むキジは野火に体を焼かれても
羽の下にひなを守っているのだよと
畜生でさえいのちをかけて子を守るのに
人の親が我が子を捨ててなるものか
たとえ引き裂かれても身を粉にしても
子を守るのが親の道 親の愛だと・・・
自らの肉をそぎ
骨をけずるにひとしい日を送って
老いてしまったお母さん
足が動かず片目が見えなくなったのに
それでも残る片目で子供の未来を見つめ
子供が病気になったら這ってでもいざってでも
看護するというお母さん
こんどは子供たちがお母さんを包む番です
そしていつまでもいつまでも
生きてほしいのです
この詩の中のお母さんは、なりふりかまわずいのちがけで生きてこられました。ひたすら耐えながらご自分を磨き上げ、黒光するほどの深い母性愛の素晴らしさに輝いています。寒さとひもじさに耐えながら、おそらく日々の食事も雑穀や麦飯、味噌汁にたくあんや梅干といった「素食(そしょく)」(粗食ではありません)だったに違いありません
「そんな食事では栄養失調になってしまう」という人もいるでしょう。しかし、その「素食」が体を丈夫にして気力や忍耐力や精神力を築き、この母性愛と輝くばかりの深い人間性を作り上げたのだと思います。そして、力の限りいのちを振り絞って我が子を育てたのだとわたしは思うのです。
ありがとうございます