すべてのものは

「原子もチリもそして広大無辺な宇宙でさえも、
本源の光の小さな現われにすぎない。」
宇宙もという言葉に、少し正気を覚えて、
もしかして、ありがたい体験のお人かもと
思ってしまいます。
そんな方におあいしまして、
今年の新たなる始まりを予感させて
いただいてます。
昨年の2月から私の道は大きく変化しました。
足元を見るようにと、大いなる光が呼びかけて
いるかのようでした。
そして身を、精神をつくして、そのように
生かせていただきました。


新年が明け、
過去がもしあるというならば、その過去が
じわじわと蘇るような気にさせる、新年の
はじまりでもありました。
学校の先輩の36年ぶりのお声に
共鳴するかのように、32年ぶりの、今度は
社会人お初の直属上司からの電話が、昨夜ありました。
「捜したよ!!連絡先がわからなくて!
やっとわかったよ。」
第一声。
ことし実の兄と同じ、確か66歳のYさん。
ほんとになつかしい、明るいはずむようなお声。
こちらが土木業界を離れて32年、
それからのYさんのさまざまなできごとが語られました。
大きなリストラの波。
37歳で失った奥様のこと、残された
中学生と小学生の二人の男の
お子様のその後。
再婚。
技術職から営業職への転換。
そして今燃えていること・・・。
一気に話しかける、昔はほとんど一言も
しゃべらなかったYさんでした。
長いゴム靴をはき、工事現場の30センチもズブズブと
入ってしまう田んぼを、測量のため歩くので、なれない私の
作業服は毎日ドロドロになります。
そんな私を見て、
「作業服が汚れているからといって、
よく働いていることにはならないからな。」と
教えてくれたYさん、ほんとに心にしみました。
仕事にかける心構えを、後姿で教えてくださった方。
それからの生き方の先生となりました。
32年間、時につらかったであろう、奥様の死のことを
思い出しては、仙台にみえるはずのYさんを思いました。
でも、お会いするには恥ずかしい気がして、近くに
行っても連絡をとらなっかたのです。
36年前の富山での北陸高速道路工事に
集った人々はちりじりになり、会社を辞めた人、
国に帰った人、定年退職した人、さまざまです。
そのなつかしい人々が、もしかして今年
東京に集うかも知れません。
お電話いただいて、ありがとうございます。
私は新入社員のままです。