随想 伊路波村から14~こんな方が「夫子の間は善を責めず」

ハガキの世界での友人のありがたい言葉。
孟子さんの、父子間の親の子への接し方だそうだ。

あんまり正しいことばかりで子を責めると、
子は離れていってしまいますよ。
というような意味らしい。

そんな風に接してきた同じ職場の
親子関係は、親子の縁のすさまじき修行を感じさせる。
人ごとではないですが。

「えーさん日記」からある聖者のことを知った。
それは弁栄聖者。
思わず全部読ませていただいた。
目にみえる世界の不思議を明確に
説かれているようです。

抜粋

☆都合がよかったことも、悪かったことも、あとから
 考えれば、たいがい同じだ。

☆自己の奥の無尽の蔵を開き、益々新しく進むべきである。

☆極楽はここが明るくなってくるところ。

☆全ての罪より重い罪は、己の霊性を殺すことです。

☆犬の胎内で、犬の形に決定せる者が、出産まぎわに
 人間に早変わりすることはできない。
 老いて気が短くなり、愚痴っぽくなれば餓鬼になる。

☆人を嫌うのは自分に欠点があるからである。

☆人に生まれたうれしさ。
 人は万物の霊長とて,よろづの生けるものの長たるもの。

 仏教にては六道の中に於いて人の身をうけることは
 甚だかたきことと仰せられまして,
 何故に人は万物の長でありませう。

 衣食住の生活が他の動物よりもすぐれている故に
 霊長ともうすのではありませぬ。

 人に生まれればこそ,かしこき道をきき,かぎりなく
 救われる身となることができるので,
 この身のままが霊長ではなけれども,み法を聞いてこれを信じ,
 上もなき佛位にものぼるべきことができるのは,
 人間に生まれたうれしさである。

 かく受けがたき人身を受けたるかひもなく,一生たしかなる安心もなく,
 いかなるみ法に依ってたすかるべきかもしらずして,
 かえって我がままの心にて,
 つみとがを作りて,三悪道のたねのみにして,
 無量万ざいの苦しみをうけるとは,いかに愚かでありましょう。

 うれしいのは,人間に生まれて救いの道にあうたのが,
 しんじつによろこばしいのです。

☆私には御名を呼び上げる毎に微妙の霊感を以て答えたまふことなれば,
 ましてあなたに対して御答ない筈はない。

 然れば如何に心を致して御名を呼び上ぐれば,
 ミオヤの御答の響きが聞こえ上げられるであろうとならば,
 私は斯様に心を至して念じ上げ,
 また御答の響きが聞こえ上げられます。

 真実に如来様は私の真っ正面に在すことを信じ,深く念ひ上げて,
 ナムアミダ佛と余念なく,己が心の統一するまで念仏して居りますと,
 漸々に心も静まりて余念なく,只如来様のお慈悲の面影が
 自ずと彷彿として思われて 来るときに,何ともいわれぬかたじけない
 有りがたさの霊感が感じられて来ます。

 これぞ如来の霊妙の御答は耳に聞こえぬが,
 直覚的に心に聞こえられるのであります。

 あなたも斯やうに念を用いて一心に心を至して念仏して
 真正面の如来に向かって念じ上げ何時までも心の統一するまで念仏し,
 如来の霊響を聞きたまへ。

 始めの程はなかなか二時間も三時間もかかってもそれはあなたの
 一大事のことですから、辛抱なされ。段々に時間が短くも統一が出来て
 益純熟するに随ってついには念仏しさへすれば,
 忽ちに三昧に入って如来の霊響に充たされる妙境に
入ることが出来て来ます。

 之即ち感応同交が宗教の唯一の機関であります。
 もし感応の聞こえぬは,古人が
祈りてもしるしなきこそしるしなれ,己が心に誠なければ

ありがたき感動の言葉群。

江崎さんに感謝します。