随想 伊路波村から36~今

地震がこの国に現れてから
いままで続いていた事柄を
続けることの意味と強さが
失われている。

ハガキを書くことがそれ。
モノを販売するのがそれ。
掃除はいい。

朝 三蔵通をなだらかな坂が続く東方面に目を向ける時
静かに低くあがってくる お日様のまぶしさが
この今を 天国だと告げている気がする。

なにごともない日常がこんなにありがたいと
思えるなんて。

地震があった日 会社のテレビが文明を
押し流していく状態を そのまま映していた。

私たちが 作ってきたものが流れていく。
流れていく・・・・。

これからどんなふうになるのか。
この国はどこへ向かうのか。
もしかしたら本来 真に向かうべき人類の方向へと
転換をすることになるのではないのだろうか と思ってしまった。

人間だけが なんでこんな風になってしまったのだろう。
形作り 貯める 化粧をし 装う。
もしライオンが口紅をつけたら・・・・。
そう言ったら家内も長女も爆笑していた。

「私たちは持っている」 テネモスのこの意味がすべてを
語っているのだろうか。

人間がもし居なければ そう主体としての人間が
あなたや 万物を意識する機会を失ってしまうなら
人がすべて居なくなってしまったら
この宇宙は存在するのだろうか。
何故 ここにいるのだろうか。
今 そんなことを思うのです。

春 常緑樹の若い若い葉が 毎日たくさん路上に
落ちていく日 常世の春は 「今が ココが天国です。」と
私たちに語りかけているような気がする。

花 若葉 子供達 若者のバーベキュー
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空 飛行機雲 葉桜・・・・・。

今 天国に居ます。