随想 伊路波村から40~力 メール

年齢と共に根気薄くなり
強い意志があっても
少しも進まない現象に飽きそうになる。

すると「飽きることは 成長が止まったからだ」と
息子がコンビニで見つけた「ニーチェの言葉」が届き
進まないことに頼ろうとする意志を
見透かすように 人生の師からは

「志を持っている間は 不思議に個人も会社も
神から支えられます。個人の思いの時は人間のものさし
社会性を持てばほとけのものさしです。」と個人の域を出ることを
確認するかのような強いメッセージが届きます。

すべての現象は自らの意識の反映としつつも
心の響きは今生ではいのちの糧でもあります。

野生のヒヨドリのヒナが自分の手のひらでいのちを
遠ざけて行ったことに臆面もなく人前で泣く感性に響き
人生の師ともいえる父親を身近に見ながら今生を生きる
友人からのメールに涙するのです。

そしてその友人からいただいた 15年ぶりに目にした「青春」が
今後の行く末にどんなに力になるのかを 確認させていただいた
8月5日という日でした。

         サミュエル・ウルマンの詩 「青春」

  青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。
  若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、
  安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。

  人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。
  歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。

  悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、
  雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。

  六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の
  煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・
  人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。

  人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
  自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。

  希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。

  自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、
  その人は若いのだ。

  感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、
  人間は真に老いるの である。

  そのような人は神のあわれみを乞うしかない。