今ということ

仮に幾千回、幾万回の転生があったとしても、
人間が認識できるのは「今」だけですね。

過去という時のそういうことを見れる霊能者の方に
仮に転生の中にとても高貴な人があったと言われたとして、
今が平凡な人生の人間だとしても、過去は何の意味も
なしません。

「今」の認識がすべてですから、そして「今」に
すべての過去、すべての未来があるとしたら、
「今」つかむ意識が全てでもあります。

そしてそのつかんだ意識通りの現実(幻想)が
目の前に展開されるのでしょう。

もし「今」の現実がとても許容できるものでないとしたら
どうでしょうか。その現実をどうにか変化させたいと
心の底から思う時にいったい何をすればいいのでしょうか。

多くの方が会社を訪問されます。
それぞれの方がそれぞれの「今」を
こちらと共有しています。

質問があるときにお答えすることはただひとつ。
「思うようにされればいいですね。」

人は他人には偽りをできても、決して
自分だけには嘘を付けないようになっています。

自分に嘘をついたり、「道が違うんじゃないですか。?」と
天からのささやきのような声が心に響いたり
した場合、肉体(幻想)に異変があり心が病みます。
それを病気と呼ぶようです。

病気は結果であり、実相ではありません。

実相に病気はありません。

「中道を行く」とは、偏りのない心を持つということでしょうか。

善悪、正邪を認識せず目の前に現れた現実(幻想)を
すべて受け入れて、自分の心に湧き上がったそのような
「中道」をはずれるこころをまず赦します。

そしてあったかに見えるそのこころの湧き上がった
原因のお相手を赦します。

その行為と心の動きの連続が、自らの望まない現実を
見事に変化させていくようです。
さらに万事如意となっていきます。

すべては自分のためにおきたできごとでした。

万事如意の実現のためには実践を続けることしか
ありません。

自分と他を赦す機会が限りなく少なくなるまで。

霊性の旅はそれでも楽しき。