無生死の世界

17年前になるのでしょうか。
京都の「ままごときゃら」さんという。マンションの
一室でランチ、ディナー共に一組のみにお料理を
提供するお店がありました。

そのお店の料理人は天才のM女史でした。

是非にそのお料理を味わっていただきたく思い、
名古屋や全国の知人の多くの方を京都にご案内
させていただきました。

「はさめず」というおいしいお醤油を知ったのも
そのお店でした。

ところが17年前に突然に「ままごときゃら」の
台所に火の手が上がり、そして一瞬で消えたと聞きました。

「そろそろお料理は退け時」とM女史は感じたようです。

その後すぐにM女史にお客様のご紹介で
縁談話が舞い込みます。

お見合いの場所京都の都ホテルで待ち合わせ。
そこにお見合いのお相手である島崎和尚が大股でドカドカと
現れました。

M女史は一目でこの方と一緒になると直感されました。

そして苔寺近くの禅寺のおくりさんとして17年間の
時が流れました。

このお寺では精進料理をいただいたり、また名古屋の
友人たちとともにM女史が台所で作ったお料理を
まるで懐石のようにふるまってもらったり、
素晴らしい琴の演奏を仏間で家族で聞かせていただいたり、
思い出の多い場所となっていました。

今年7月4日に京都行の新幹線に乗っていました。

「島崎さんの旦那さんが亡くなったようですので
ご弔問にご一緒されませんか。?」という
お誘いをいただいていて、その日のことでした。

すでに神人に近いM女史は少しやつれた感じでしたが
ご主人が1月に亡くなったあと気丈にお寺の御守りを
されていたようです。

こちらはご主人である故島崎義孝さんとの面識は
一度もなく、ただ以前に伺ったときにいただいていたご著書
「無生死(むしょうじ)の世界」が手元に残っていたのみでした。

その日はお昼から、名古屋まで戻ってからも夜半まで
とても深いお酒となりました。
不思議なご縁のご夫妻がとても喜んでいる心が
飛んできていました。

無生死の世界」から

沢庵和尚がなくなるとき、弟子が遺偈を書くように頼んだ。
和尚ははじめ「遺偈など書かぬ」といって拒絶したが、
懇願されたので筆をとって「夢」の一字を書いて遷化した。

この語で沢庵はあらゆる論理や理性を超えた究極のリアリティ、
絶対の真理を表現したのである。

彼のいう夢の意味を理解することは自己もそれ以外のことも
すべて夢のようなもので、宇宙全体において夢で
ないようなものは一つとしてないということに他ならない。

つまり、宇宙に存在するあらゆる現象ははかない幻想で、
実体のないものである。
肉体は水に映し出された幻影であり、
仮想でしかない。ある哲学者が言った
ように、「人生に目覚めることは、夢を操ること」なのである。・・・・

ゴーダマ・ブッダ

ブッダ最後の時、ブッダは鍛冶工のチュンダが出した
毒入りの食事が元で腹痛を起こし、体を横たえることになる。

その時のブッダの言葉・・・

そして鍛冶工のチュンダのことを心配して
アーナンダに話しかけて、
「チュンダのこしらえたあの食事が済んだあとで
ブッダが亡くなったからといって、
だれも彼を非難してはいけない。」と言った。

ブッダは言った、「彼を非難するどころか、きわめて貴重な二つの
施食というものがある。一つは如来が完全な悟りに達する前に
与えられるものだ。もう一つは如来が亡くなる前の食事である。

良いカルマは鍛冶工チュンダの報いとして返ってきたのだ。
だから彼に良心の呵責をおこさせるようなことがあってはならない。」・・・・

ソクラテス 死と向き合う

ソクラテスは表向きには、異端とアテネの青年を堕落させたかどで
告発された。これらの罪で検察側は彼を死刑に追い込もうとしたのである。
・・・・・・
そして死刑を宣告された。

(ソクラテスは何度も黙想しているうちに体を忘れ、恍惚として
亡くなっていったのである。彼は討論や沈黙の中で何度も、
情緒的・知的にも死んだのである。したがって本当の意味で、
ソクラテスには死ぬことが毎日の日課だったのであり、・・・)

ソクラテスの最後の時間についてのプラトンの説明

クリトンは傍らに立っている召使に合図を送った
召使は外に出て、牢役人と一緒に戻ってきた。

牢役人は毒の入ったカップをもっていた。ソクラテスは言った。
「やあ、ご苦労さん。貴公はこの手のことには慣れているな。
儂に手順をおしえてくれまいか。」

 牢役人は答えて、「ただ呑んでから、両足が
重くなるまで歩き回るだけだ。それから横になればいい。
そのうちに毒が効いてくる。」言いながら役人は
盃をソクラテスに手渡した。ソクラテスはきわめて
ゆっくりとした風で、毛筋ほども怖れで顔色やたたずまいを
変えることなく、真っすぐに牢役人を見ながら盃を受け取って言った。
「どうだろう、貴公この飲み物を神に捧げてもいいかね。
それともだめだろうか。」
するとその男は答えた。「ソクラテスよ、儂らはただ思うだけの量を
支度したのだ。」

ソクラテスは「そうか。だがこの世からあの世への旅が
うまくいくように神に願わなければならないのだ。
私の祈祷書には、そのように書いてあるからな。」

そして盃を上げて唇に運び、唯々として毒を飲み干した。

ここまでほとんどの人は悲しみをこらえることができたが、
今や彼が毒をあおるのを目の当たりにし、
それを飲み干したのを見て、
最早、堪えられなくなってしまった。

私の目から思わず涙が溢れた。私は両手で顔を覆って
泣いたが、それは彼のためにではなく、
そんな友人から離れなければならない
わが身の不幸を思ったからである。

私よりもクリトンといえば、彼は自分の涙を
止めることができなくなって
席を立ちあがった。私(プラトン)はそれに倣った。
その時アポロドロスはそれまでも始終泣きっぱなしだったが、
さすがにその時には大きな声をたて、皆をぎょっと
思わせるほどの大きな叫び声をあげた。

ソクラテス一人が泰然としていた。
「これは、皆さん、何という変な声を上げて泣いているんだね。」
とソクラテスは尋ねた。「こんな見苦しいことが起きないように、
ほとんどの女の人たちには立ち去ってもらったんだよ。
私は人というものは安らかに死んでいくものだ、
と常々いわれてきたからだ。
静にして、堪えてほしい。」・・・・・

ソクラテスが顔を現した時(というのは彼が顔を
覆っていたからだが)には、
鼠径部が冷たくなり始めていた。
そして言ったーこれがソクラテスの最後の言葉だったのだがー

「クリトン、私は雄鶏をアスクレビウスに
お供えしなければならないのだが、
それを君がやってくれないか。」

「いいとも、きっとそうするよ。他に何かあるかい。」
とクリトンは答えた。
この問いにはなんの答えもなかったが、1,2分ほどは
身動きする音が聞こえた。
そして係の男が覆いを取ってみると、ソクラテスの両眼は開いて
固く静止したままだったが、クリトンが目と口を閉じてやった。

島崎義孝さんはご結婚当時からも17年間の間ずっと
体内に癌をお持ちでした。
そのこともきちんとお内儀に告げ静かにこの世を
去りました。

ご冥福をお祈り申し上げます。