目と耳と知識と

「耳は翻訳するのであって、聞くことはしない。
目は再現するのであって、見ることはしない。
耳も目もココロの決断に答えている。」

判断ができない幼いうちはただ目にするものを
おもしろいのかさわったり、なめたりする。
危険を知らない。
それを親にたしなめられたりして、見ているものを
判断していく。

しだいに大人になってさまざまな知識体験から
豊富な決断力が芽生える。
そしてさまざまな本や芸術やスポーツそして
体験経験から自分の判断が生まれてくる。

聞いてはその判断の力から翻訳している。

見ては決断しているものの影を再現している。

すべては人の決断によっている。

別の言い方では見たいように見ている。
そして聞きたいように聞いている。

それではあるままに見ることができないことを
あるままに見るためにはどうすればいいのだろう。

自分が信じて疑わない知識、培った経験、
また体験それらのすべてを机の引き出しに
全部入れてしまって、
小出しに出さないように鍵をかける。

そのような状態で聞く。
そして見る。

するともしかすると、すべてが鳥のさえずりに聞こえ、
すべてが光り輝いて見えるのだろうか。

心を静かにして先入観を捨て聞き、見る。

その繰り返しから実相という愛が満ち満ちて・・・。