人はただ一つの柱を生かされている

未来がここにあったり、
空間を超えて物が飛んだりしたときに、
これはテレポーテーションといいますが、
この実際に見ている世界は何だろうと
疑問がわかないでしょうか、?

もう30年ほど前からこんな体験の連続で、
いつもそれを探求することが人生になってきました。

真理の探究です。
それだけが大切と思わされます。

ですがこの世の中で完全なる善だけの
人間はいるはずもなく、
常に五感と官能とのまやかしにあって
悩む日々が続いています。

汚れた心が真理を遠ざけます。

「アメリカのツインタワーが割れたこと」

「富士山麓に オウムが泣いたこと」

このような未来が二、三か月前に御天画に表現されれば
どのような石頭でも、未来は預言ではないにしろ
今 と確信をせざるをえません。

人間はそれぞれのお役というか、喜びの
表現の方法を持たされて生かされていて、
この肉が自分と思ったら死んでいるのかもわからない。

たった一つの霊の柱を生かされていることは
伊勢神宮の内宮にある「真の御柱」の言霊に深い
意味が込められているこの国なのです。

母音、子音、父音、半母音。

「初めに言葉ありき、 言葉は神であった。
言葉は神とともにあった」

すべてのあってあるものは言葉から生まれています。

言葉は神であり神の子である人は神そのものの表現体。
仏をそして形ある神様を拝むましてや
人間を拝む愚かさを知ります。

はるかな空。
美しい心を願いながら、
けがれた自分を知ります。

どこまで行ってもわからない。
どこまで歩けばいいのでしょうか。