関係とは常に目的をもったもの 来る者は誰でも送られてきた者

来る者とは人間だけではありませんね。

来るものはさまざまでしょうか。
そして人さまざまにそれは異なります。
その人専用に送られて、贈られてきたもの。
ギフトですね。

嬉しい楽しいことばかりでなく、
いやなことも、つらいことも含めて。

せっかく贈られたのだから、
受け入れてどうするか楽しむしかないですね。

「いつも喜んでいなさい」 イエス

やってられないときもありますね。(笑)

この秋からまた一段と神社の社務所はシャムショウです。

あらゆるものがいままでとは異なる感じ。
人類はひとつ山を越えるんでしょうか。

あくなき欲望の世界観から、
与え愛の世界観へ。

あらゆるゆがみを乗り越えて、
あらゆる集団が「七宝紋」のように
小さな「わっか」が絡み合うグループとなる。

合わない「わっか」は離れ、またほかの「わっか」を
グループに組み入れていく。

種類を問わない、教育、政策、農業、工業、林業、水産、サービス
芸術、芸能、音楽、医療などこの世界のあらゆる分野のグループが
ついては離れを繰り返し「愛」を膨張させていく。

だから基本的に「与え愛 慈しむ」世界観でつながっていく。

世界観が異なると、離れざるをえなくなる。

世界観の同じような人々が固まり合い、
それぞれ別個の世界ができるよう。

実相とは実際の相(すがた)

仮相(果相)とは結果の相(すがた)

果相がすべてと思って信じ込んでいれば
ボタンをずっと掛け違えたままの人の一生かも。

実相から見ればないような、生きていないようなすがたです。

これからは実際の世界を心に第一において
結果にとらわれない「与え愛と 慈しむ」世界への
船出でしょうか。

それはすぐかも知れません。