Iさん懐古 その5~イエスは死のないことを知っていた

今年2月一週間の入院を体験しました。

まだコロナが本格化する前です。
丁度2月の末です。
退院後にお医者様に指定された健診の
外来の日のお約束を「コロナ」を理由に
解消しました。(笑)

「コロナ」は味方になってくれました。

それで退院してすぐに、Hさんのシャンソンコンサートに
出向きました。

Hさんは「命がけで」来てくださったお客様に
感謝してみえました。

「命がけ」に思わず笑ってしまいました。
何故かっていのちは永遠だからです。

お話を戻しまして、一週間の入院中は
出血性の胃潰瘍でしたから、最初は何も食べれません。
点滴のみ。
退院前に少し重湯から、おかゆになってきていました。

大変に暇です。

テレビは普段からほぼ見ませんので、
やることがなく。
息子に「文読む月日 下」を持ってきてくれるように
頼みました。トルストイ著の哲学書です。
西洋の哲学的な方たちの言葉や、読み物が一週間おきくらいに
はさまっています。

ほぼ一週間で読み終えています。

その中にももちろんたくさんの
「死はない」記述があります。
そして生命は永遠で、人は無限の意識であり
宇宙そのものであることもたくさん書いてあります。

一週間の入院は、このことの再確認だったとの
確信です。

そしてIさんは「イエスは死のないことを知っていた」と
言われました。

もちろん昔のことですが、もし復活の時の
イエスとお弟子さんとの出会いの話が事実であれば
当然と言えば当然のことです。

弟子の一人トマスは最後までイエスの復活を
信じずにいました。
イエス自身の手でトマスの手を刺されたおなかに
触れさせるまでは。

聖書ではイエスは
「我は生命なり」と言っています。

イエスがそうなら私たちももちろん
「生命」です。
私たちが「肉体」であると完全に思わせることが
自我の役目です。
なかなか手ごわいです。
それこそ全集中で五感や官能を駆使しますから。

特に病によってそのことを強く訴えます。・
ところが危篤入院中には病気のことだけが人間の
集中的な関心事となり、外の景色や、人間との
関係や食事や何もかもが、自分という肉体の
ごくごく小さな一点のみが現実となり、
世界は幻想という証明をもします。
不思議なことです。

何千回もの人生と言われることもあります。

そして心はすべての情報をもっていて
私たちの願いはすでに内側にすべてあるとも。

「死」とは何かと「あなたとは何か」はセットの命題ですね。

もしかして「死」はなくて絶対無の世界。

もしかして「生」もなくて、光一元の世界かも
知れません。

死もなくそれゆえに生もない。

いつもどんな時も喜びに輝く
光一元の世界こそ実相と呼べるのでしょうか。

「イエスは死のないことを知っていた」

「いつも喜んでいなさい。」 イエス