「いつだって誰かが本当に助けるのは自分自身」
出会いがあって私たちは兄弟に縁をいただきます。
そしてその縁からいろんなことを体験させていただく。
助けられることも、助けることも、共に喜び合うことも
悲しむことも、怒るできごとも・・・。
そしてそんなシーンの一つひとつがさまざまな
想念を起こします。
助けるとは救済。
救済とは癒し。
出会いによって癒しのチャンスが訪れます。
喜ぶことは、天の意志なのでなんの問題もないのでしょうが、
怒りや悲しみなどは分離している自我の栄養なのですが、
この時こそ癒しのチャンス。
分離を起こしてしまった自分がそのことを受容し、
自分の心を赦すチャンスのようなのです。
ですから何にしても相手と言う存在がないと
それが達成されることがない。
そのチャンスを下さった方との共同作業ですから
結局すべては、その相手が誰であろうと、
自分自身の助けにしかなりませんね。
何をしても、誰にあっても、結局は
自分一人の実相世界です。
誰もいない。
「いつだって誰かが本当に助けるのは自分自身」