神の使者から奇跡の道へ その13~罪なき心には苦しみはありえない

「罪なき心には苦しみはありえない」

罪のない心とはなんでしょうね。
罪だらけ。(笑)

ようするに過去のことの数々の体験で
たくさんの罪を犯してきたことを悔やんでいる心。

その反対で、それらのことを罪だと思わない心でしょうか。?
冷酷?か無関心。?

それならちょっとおかしい感じですね。(笑)
罪はこの現実でおきることを罪と感じる
自我のなせる攻撃ととらえることができると、
わかってきそうです。

この奇跡への道で幾度も幾度も出てくることの
基本的なこと「自我は実相を恐怖し、聖霊は自我を知らない」
ことが心から知れないとわかりにくいですね。
たぶんこの項まで進んだすべての言葉が「???」で
きっと読まれることもつらいかもしれません。

罪(分離)は一度もなかったのだと知る。
分離によって起きるのは苦しみです。
自我は次々に現実という幻想を送ってきます。
そのすべてを「真の赦し」によって、なかったことと
していけば、奇跡(実相)への道を歩いています。

「私はあなた。私はすべて」であるならば
罪(分離)はありません。
したがって苦しみはありません。

すべては与えられた強い自由意思が決めます。
どう思おうとすべては自由です。
ただ創造したものは創造されたものと一つ。
その願いはただ二つが同じ意志となっていることでしょうか。

「愛は不満を抱かない」

「罪なき心には苦しみはありえない」