神の使者から奇跡の道へ その35~外の世界として知覚する一切は・・

「外の世界として知覚する一切は、あなたが自我と
同一化することを続けようとする試みにすぎない」

外の世界とは、目に見える世界のこと。
現実と呼ぶ世界のことですね。

その目にする一切が自我を続けようとする試み。?

普通は自我を続けようとすることを別に意識している
わけでもありませんが、何も考えないで普通に見ていますね。

そして一日三万回判断する。

眼にするものの全ては、あなたが分離していることを
強烈に教えています。ようするに無意識のうちに
自我を継続維持していますね。

もし「分離」がないとしたら、何かを失うことも
得ることもない。
「恐れ」は心のうちに深い損失感覚があることを
示す兆候ですね。

何を損失するのでしょうか。
もし分離がないとしたら。

一番厄介なのは「病気」ですね。
病気とは「肉体」を失う恐れの兆候です。
もし自分についての真理、自分は「分離」していない
ということを真から知っていたなら、病気になることは
ありえません。

もちろんコロナで死ぬなんて。

分離のない実相の世界では、すべて「愛」のみですから、
自分を愛することはすべてを愛すること。
そして自分を愛することは、自分を癒すことですから、
病気の人たちは自分を愛していないということですね。

自我と同一化しようとする限りにおいて
病気は避けられないことになりますね。

「あなたは人や物に対して、実際に愛以外の何かを
与えることはできないし、人や物から、実際に
愛以外の何かを受け取ることもできない」

虚無というその実態が恐ろしいはずがありません。

「外の世界として知覚する一切は、あなたが自我と
同一化することを続けようとする試みにすぎない」