「祈りの詩」の川上さんの「法則の伝え」を
Kさんが 解説してくださってます。
抜粋をこの「法則の伝え」のカテゴリーにて
お伝えさせていただきます。
〈己れを捉える物差しについて〉
私たちは自分を捉える物差しを持っています。
高いものから低いものまであります。
その中で一番低い物差しは、“全てが満たされていて当然”
お金がいっぱいあって当然。
健康でどこも悪くないのが当然。
人間関係も悩みがなくて当然。
つまり全てが満たされていないと満足できないという心です。
この物差しが一番低く、誰でもが持ちやすいです。
では高い方はどうかというと・・・、
“全てが意のままにならなくて当然”
“生きているだけでありがたい、何故ならまだ「行」がさせてもらえる”
“肉体があろうが無かろうが、永遠無限の愛によって、
全てが現されていることが悦び”
つまりどんな環境にあっても、心が揺らがない意識状態です。
私たちは「行」を通して、物差しのレベルを上げていく人生を送っています。
例えば順風満帆の人生を送ってきた人がいるとします。
小さい頃から優等生で育てられ、医者の家系で自分も医者になり、
先生、先生と持ち上げられ、病院の経営も引き継ぎます。
医者の仕事は他の人に任せ、自分はお金儲けだけ。
何の不自由もなく、昼間はゴルフ、夜は高級バーで接待を受け、
好き放題をしていた、という人がいたとします。
その人の病院の経営が少し苦しくなったとします。
すると途端に絶望感に陥ってしまいました。
何故なら、“全てが満たされていて当然”という低い物差ししか
持っていなかったからです。
でも事業なんて少しくらい借金があって当たり前という物差しの人から見たら、
そんなことは苦でも何でもありません。
ましてや“生きているだけでありがたい”人から見ればその程度のことなら、
もうパラダイスです。
私たちは「行」を通して己れの物差しのレベルを上げていきます。
そして「行」の真っ直中にあろうと、心の持ち方でレベルを上げ易い方法があります。
“この世は魂の戦場である”
“私たちは愛と英知の手綱を手にした、魂の戦士”
という意識を持つことです。
では闘う相手は誰かというと、己れの低い心です。
私たちにとっての最大最強の敵は己れの低い心です。
それ以外に恐れるものは何一つありません。