「ダブルの損」 自分で自分を自分する 2/23

http://tenmei999.blogspot.com/2021/02/22522021223.html

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月19日の記事を紹介します。

ダブルの損

自分の心が、少しづつピュアになってくるとそれに伴い、自分の周りの景色も少しづつ変わってきます。

・付き合う友人、職場の人、出会う人がみんな優しい

・いろいろなタイミングがベストな関係でマッチしてくる

・必要な時に、必要な人に出会う

心とはそれほどに重要です。

もともと私たちは生まれて来たときはピュアな心(魂)でした。まさに神様から頂いた神聖な火花のままです。ですが、成長するにつれ、様々な経験を経て色んな我欲にまみれ、心を曇らしてしまうことが多くあります。

それも、心を輝かせるための 研ぎ石の役割を果たしてくれるのですが、気づいたときには心の穢れを祓い、元の清浄な心に戻さなくてはなりません。

泥の中に置いて、綺麗な花を咲かせるのは至難の業ですが、神様は、私たちにぴったりの環境の中に、私たちを置いてくださっています。その中で、自分なりの花を咲かせる・・

私たちは天国から地上に降りてくる時にみんな、そう神様と約束して生まれて来ました。

今日は「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な元ノートルダム清心女子大学の学長、渡辺和子さんのお話をご紹介します。

是非、心にとめて実践なさってみてください。きっとお幸せになれますから。

<引用開始> 引用元

 許すということは、損をすることなのかもしれないと思う。だから、難しいのだ。

もう40年も前のことだけれども、周囲の人たちの無理解に腹を立て、不機嫌だった私に、一つの詩が与えられた。

もしあなたが、誰かに期待したほほえみが得られなかったら

不愉快になる代わりに あなたの方からほほえみかけてごらんなさい

実際、ほほえみを忘れた人ほどあなたからのそれを必要としている人はいないのだから

貰(もら)えるはずのものが貰えなかっただけでも「損した」と思うのに、こちらがそれを与えるなんて、これでは“ダブルの損”だと、私はその時思ったものである。

ところが、やがて気づかされたのは、ダブルに損をすると「得(とく)になる」ということだった。

“シングルの損”だけにしておくと、残るのは、腹立たしさや口惜(くや)しさだけであり、

折あらば仕返しをと考える自分だけである。

ところが思い切ってダブルに損をすると、そこには、ほめてやりたい自分が残り、「よか

った」という満足感が残るから不思議だ。

ダブルの損を実行するのは、決して易しいことではない。まず、相手の立場になる心のゆとり。「相手こそ、私の欲しいものを私以上に必要としているのだ」と考えることができるこのゆとりは、自分中心に生きている限りは生まれない。それは一つの“許し”である。

次に、自分を大切にする決心。相手の出方に左右されず、自分は自分であり続けようという強い意志とプライドが、ダブルの損を可能にしてくれる。

売り言葉に買い言葉的言動をしてしまった後の惨めな思いを、誰しも少なからず経験しているのではないだろうか。

 かくて、自分の生活を大切にしたいなら、相手を許さないといけない。許すことによって、自分が相手の束縛から解放されるからである。

 夫の裏切り行為に苦しみ抜いた一人の人が、その苦しみから立ち直った時にいった言葉が忘れられない。

「傷つけた相手を許すことによって、自立が可能になりました」

許すということは易しいことではない。しかし、許すことによって、私たちは相手の支配から自由になり、自立をかち得るのだ。

 かけがいのない自分の時間を、他人の支配に任せていては、もったいない。時間の使い方は生命の使い方なのだから。相手がどのようであっても、自分は“美しく話す”ということは、大変な勇気が要る時がある。

しかし、それを実行しない限り、美しい言葉を相手から聞くことはできないのだ。

求めるものを与える時、そこには主体性がもたらす豊かな人生が生まれる。

許すこと、損することを惜しんではならない。

<引用終了>

相手の方を許さない限り私達も誰かから許されることはありません。だから、心が重く苦しくなるのです。

私たちはよく〇〇してあげたのに・・ の「のに」という言葉を使います。

善意でしてあげたことなのに、感謝されないとか、気づいてくれないとか。

何だか、感謝の見返りを求める、押し売りみたいですね。

自分がかけた

・優しい言葉

・思いやり

それらに対して、感謝の反応がないと私たちは、途端に、「仏」が「鬼」の心に変わってしまいます。

ですが、渡辺さんが仰るように大切なことは、相手の反応ではなく、そのような行動をすることのできた、自分の心かもしれません。また憎しみの心を何時までも抱えている人は、なかなか幸せになることができないようです。

・ぞんざいな時間を使うと、ぞんざいな人生が残り

・丁寧な時間を使うと、丁寧な人生が残り

・愛のこもった時間を使うと、愛に溢れた人生が残り

・憎しみのこもった時間を使うと、憎しみが人生が残ります。

自分の普段の心がけ一つで、自分の人生をいかようにも変えてゆくことができます。

相手に、何かしてもらえなかった(1つ目の損)そんな時こそ、自分の方から、して差し上げる(2つ目の損)この2つの損を積み重ねることで、計り知れない徳が積まれ、きっと

自分の人生だけでなく、子供たちやご家族、そして先祖の方々まで、光に照らされることでしょう。

このダブルの損、試してみませんか?きっとお幸せになれますよ。