「法則の伝え」から 20101021

この物体場は極めて極めて特殊な世界です。
というのはこの物体場だけに、他の様々な次元の魂が降りて来られます。
上次元ではこんなことはありません。
この物体場の凄いところは、肉体の細胞一つをとってみても、
その仕組みや動きの精密さに驚嘆します。
60兆個あると言われるこの凄い細胞が、それぞれのバランスをとって、
人体を形成しています。


これだけを見ても神の存在を信じないわけにはいきません。
私たちはその人体を維持継続させてもらっており、それをライフコードを通して
纏っています。
この極めて特殊な物体場は、私たちは一人では歩めません。
だから私たちには守護霊が付いてくださっています。
キリスト教で言いますと、守護天使です。
この方は私たちの物体場の歩みを全て把握していらっしゃいます。
この方たちをどう捉えるかというと、私たちにとっては神の使者です。
この守護霊の下、私たちは物体場を歩むのですが、その周囲にはたくさんの
指導霊が控えてくれています。
その導きがないと私たちは、危なくて物体場を歩んで行けません。
無用な事故等に遭わないように守りながら、その魂が「行」をするべきところは、
それにあった厳しい環境に導きます。
私たちは守護霊の判断の下、敢えて厳しい場に身を置いて修行をするわけです。
神の使者である守護霊は、私たちが「苦」のなかで涙を流すとき、それ以上に
辛い思いをされ、一緒に涙を流してくださっています。
そういう中で私たちは歩んでいるのですが、物体場に降ろしていただくに当たって、
大目標があります。
一つは魂の進化の、目標計画の実現です。
もう一つが、カルマの精算です。
先進国に降りてくる多くの魂は、人という意識体としてスタートしてからの
キャリアが長いです。
前世、前々世等々があります。
人類の過去はどうしても殺戮の歴史でした。
そのために私たちは、たくさんの負のカルマを作ってきました。
このカルマを精算しないといけないわけですが、今生でどれだけ精算するかによって、
人生が大きく変わります。
多く精算するとなると、苦難が長く厳しくなります。
しかしその苦難と向き合って、「苦」を受け入れ、自らを磨き上げている人たちは、
向かい合う毎に魂が着実に浄化されます。
魂の浄化、これこそが物体場に降ろしてもらった醍醐味なのです。
人より良い服を着るとか、良い車に乗るとか、良い家に住むとか、そういうことに
人は憧れるのですが、それでは逆にもっとたくさんのカルマを作ってしまいます。
ですから厳しい闘病生活を送っていらっしゃる方は、魂の浄化という視点から見ると、
まさに素晴らしい人生を送っていらっしゃるわけです。
私たちはモノしか見えませんので、競争の歩みをしてしまいがちなのですが、
人生の実体はこういうことです。
例えば病気のAさんが、霊的治療家のところへ行ったら病気が直ちに治ったとします。
Aさんは人生の深さを知って感動し、目覚めました。
同じ病気のBさんが行きましたが、全く良くなりません。
それどころか悪化していきます。
この場合、Bさんがカルマの精算を終えるまでは、病苦が抜けないと言えます。
カルマの精算が出来ていなければ、どんなに優れたヒーラーでも病気を治すことは
出来ません。
それと相性の問題もあります。
それぞれのスピリチュアリズムには個性があって、その一つに導かれても
合う人もいれば合わない人もいます。
合わなければ自分に合うところに行かれれば良いのです。
例えば古神道でも良いですし、霊能力者でも良い。
導かれるままにいろいろなところで学ぶのも、「行」なのです。
ただどこへ行っても完璧はありません。
なぜなら法則は上の次元から降りてきます。
その高い次元の視点が無いと、私たちには捉え切れません。
そのためにどうしても矛盾が出てきます。
高次元の伝えは、物体場に降ろした時点で、矛盾があって当たり前になります。
シルバーバーチが何故凄いかと言いますと、矛盾点があり、それを物体場に
無理矢理合わせようとしていないところにあります。
もしシルバーバーチが完璧・絶対な法則を降ろしたら、逆に失敗です。
何故なら人は、完璧・絶対なものがあるとそれにしがみつきます。
それでは完全な依存になってしまいます。
信じてさえいれば良いという、教条主義に陥ります。
私たちの進化というのは、自主性主体性の方向にあります。
導きの下、理性を以て自らの舵取りをしていくことが求められています。
そのための土台を作るのが物体場です。
ですからシルバーバーチを始め、高次元からのメッセンジャーは、
「理性にそぐわないところは、遠慮なく指摘してください」
「これが絶対だと思わないでください」
「メッセージを鵜呑みにしないで、自ら追究してください」
等々の言葉を、まず最初に示します。
ですから高次元のメッセージ受け取る者が、あるいは研究する人が、自分たちの
拙い判断で、勝手に矛盾点を埋め合わせてしまうようなことがあってはなりません。
これからのスピリチュアリズムは、その国のトップレベルの研究者によるアカデミックな
研究になっていくのが望ましいです。
本来なら魂の世界の研究は、物体場において最も大事なものだからです。
ところが現状は、なかなかそうならないのが残念です。