「新エネルギー革命へ」
木を切り、畑をつくった場へ、太陽や風のエネルギ丨が注ぎ 作物という果実を得たのが人類の第一の革命でした。木を切る道具を作る知恵がエネルギ丨革命を生みました。
そして蒸気機関が単一の製造物を、たくさん作ることに手を貸してくれて、産業が大発展したのが、産業革命でした。
その、動力機関の燃料は木、石炭、水力、石油、核と変遷して現在に至っています。
日本という国は、文明国家の中では、産業革命の恩恵にほとんど最後にあずかった国です。
明治という時、この国にガス灯がともり、機関車が走り、電話が鳴り、それは文明開化のさきがけの時代でした。
その後、時代は大正、昭和へと移り、二つの原子爆弾が国土に炸裂しました。世界中で唯一の被爆国となりました。その国に世界で二例目の原子力発電所がもたらされ、現在では五十五基という世界一多くの数の原発をもっているのも日本です。まことに不思議なことに感じられます。
人類は二度のエネルギ丨革命を経て現在に至りました。
石炭、石油を燃やすこと、ダム建設や莫大なエネルギ丨を生む原子力発電所、そして最近の太陽光発電や風力発電。
大きな視点でみますと、すべてがエネルギ丨を得るために燃やし爆発させて、自然のバランスを壊してしまうものでしょうか。
ご存知のような、異常な自然現象が、もうこれ以上酸素を減らさないでと叫ぶ、呼吸困難に陥った地球さんの声や行動のように感じられませんでしょうか。
人が過去から「フリ丨エネルギ丨」と呼ぶ宇宙エネルギ丨が 私達の目の前に具体的に現れてくれる日が近づいています。
けれどもそのことが現実のものとなる為には、争わず囲わず、執着せず、支えあい、慈しみあうことへの、人類の意識の転換が大いに必要なことになってくるのでしょう。
過去十七年前の私のイメ丨ジに写された映像です。
あるお母さんが、小さな男の子の手を握って二人で空中を見上げています。男の子は都会の構造物を見ながら、お母さんに訊きました。
「お母さん、あの長い建物ってなあに?」お母さんは答えました。「あれはね、昔 高速道路っていってね、車が走っていた道なのよ。壊せなくてそのままにしてあるの。」道には車が一台も走っていません。それでも車が空中を走ったり、下の道を走っている映像はありませんでした。
これ以上 物を世の中に出し続けることへの心の反発が、自らの夢に現れたのでしょうか。
私は、建築材料を 世に送り出し、もっともっとの企業の成長を促進し、会社を大きくし安定させることが、大命題の会社の経営に携わる者です。
それなのに、もう売ってはいけないという矛盾が現実の心との大きなねじれとなりました。
世の中と自然と共に生かされる道は何か。 食物の複合汚染、医療薬、農薬、環境汚染、廃棄物処理、電磁波問題などなどの根本的な解決とは何か。
「快を求め 不快を避けるのが、人間の行動原則」と聞きました。不安、執着、怒り、欲望が本源への回帰を強く妨げている現代という時、今一度私達が「何の為に生かされ、今ここにあるのか」の原点に戻ることで、多くの人が、すこしでも近くの人に手をさしのべることが出来る本来の人の命を 生かされますよう祈らずにはいられません。
さらにそのような意識の集合が必ず素晴らしい「エネルギ丨革命」を現実にする力となり 動力、農林水産業、エネルギ丨、水、医療、環境改良など多くの分野に黎明の光が大量に注ぎ込むことになるのでしょう。
新しい時代の夜明けが近いようです。そして、それはこの国から始まります。
世界をめぐる「第三のエネルギ丨革命」の時です。
平成二十一年九月九日記