「種田山頭火という生き方」
大山 澄太 俳人
山頭火という人は幾度か私の家に
泊まりましたが、帰る時、いつも
後ろを振り向きもせず、一目散に
駆けていくのです。
見送るほうとしては物足りんのですね。
だからある雪の降る夜、山頭火が私の家に
泊まった時、いつものように酒を飲みながら
「あんたが帰る時、僕らが名残惜しんで見送るのに、
いつも後ろを見ないで、すーっと逃げるように
して行く。
あれはどうしたんか」と私が尋ねると、
山頭火は酒を飲むのをやめましてね。
「君、そう言うな。君らは月給もろうて
生活に心配ないが、僕のような漂泊の
乞食坊主はあんたらに別れたらこれが最後で、
どこで野垂れ死にするやら分からない。
ひょっとしたらもう会えんと思うと
つろうてならんので、涙が出て、自分の
涙を踏み踏み歩きよる。
手を振ったり、後ろを向くゆとりが
ないんだよ。「一期一会」というからの」
そういう純な思いで出て行く人に、物足らんと
思うのは愚かだなあと気がつきました。
振り返らない道がまっすぐ
まっすぐな道でさみしい
その頃の山頭火の句です。
こういうところに山頭火の歩みの
なんともいえんものが響くのであります。
ある年の暮れ、仕事で山頭火の庵の近くまで
来たので、酒を持って訪ねました。
夜まで話が弾み、さて帰ろうとすると、
「澄太君、すまんが長い間、人間と一緒に
寝ておらんので、寒いぼろの庵だが、
ここへ泊ってくれ」という。
寂しがる先輩を残して帰るのもなんだから、
「それでは泊まろう」ということになったが、
いざ寝ようとしたら蒲団がひとつしかない。
山頭火が「君が泊まるので嬉しいから
寝ずに起きとる」と言うので、蒲団に入ったが、
小さくて薄い蒲団のため寒くて眠れない。
「どうも寒くて、眠れそうにない」と言うと、
山頭火は泣きそうな顔をして「すまんことだ」と
言いながら押し入れから夏の単衣を出して
私にかける。私は「まだ寒い」と言うと、
紐のついた物を持ってくる。ようく見ると
赤い越中ふんどしなんです。それを私の首に巻く。
臭いことはないが、いい気持はしないので、
「それはいらん」と取って外す。そのうちに
酒の酔いも手伝って寝てしまいました。
東側の障子がわずかに白んだ夜明けの
四時ごろだろうか、私はふと目が覚めた。
山頭火はどこかとこう首を回して探すと、
すぐ近いところで僕の方を向いて、
じーっと座禅を組んでいる。
その横顔に夜明けの光が差して、生きた仏様の
ように見えましたなあ。
妙に涙が出て仕方ない。私は思わず、彼を
拝んだもんです。さらによく見ると、山頭火の
後ろに柱があり、その柱がゆがんでいる。
障子を閉めても隙間ができ、そこから夜明けの風が
槍のように入ってきよる。
それを防ぐために山頭火は、自分の身体をびょうぶに
して、徹夜で私を風から守ってくれたのです。
親でもできんことをしてくれておる。
私はしばらく泣けて泣けて仕方がなかった。
こういう人間か、仏かわからんような存在が、
軒に立てねば米ももらえんし、好きな酒も飲めん。
その時私は月給の四分の一を山頭火に使って
もらうことに決めました。
山頭火が死ぬまでそうしました。