すこしでも光れば

午前2時 眠っていたのに 突然
「わかった」と言って 起きてしまった。
トイレに行ったあと泣いて
また 洗面所で泣いていた。
方法や 現象の理由の解明に
あけくれていた人生だった。
地球は ふるえている ずっと。
人間以外の自然は 何も貯めず
死さえ含めて 何も不安でなく ただあったのに。
ここを 次へのために ちゃんとした場に
したいことさえ やっぱり欲望かもしれないけれど
できればと願う。
なつかしい ふるさとだから。
よくわかっているはずの言葉たちが
飛んできた 「愛」 「積極」 「感謝」・・・・・。
一人でもいいから 少しでもいいから光るんだ。
いつでも すこしでも。
なんて小さな考えだったんだろう。
悲しいくらいだ。
動くんだ・・・。
これから 小さな自分だけでも。

病むということ

人間が病むということは
何かが欠けているということと聞いた。
身体の場合には 口にする食べ物とか
食べ方とか 量とかが関係するのだろうか。
そして 気というものもある。
感情を荒立てると それだけで細胞が死ぬというし
病む細胞も 生まれるのだろう。
ガン細胞は 新しい細胞を生み出す力がなくなってしまった人の
細胞と細胞の間の空間を埋めるために 発生してくれるもの。
だからがん細胞を消そうとすると それは空間を作ろうと
いうことなので 死への早道になるよう。
精神はどうなのだろう。
いくら考えても わけがわからない精神の病。
足らないもの? 霊障? エネルギー不足?
自分が病気になる場合 そして目の前の人が病気になる場合
どちらも それを知り それを見る。
そのどちらも自分の世界。
もっと 進むと自分の作った世界。
他人の病気さえ・・・。
心底 そう思えたときに 思いもよらぬ考えが浮かんだ。
それが解決へと導いてくれるとは。
みんな自分のことだったんだ。
ほんとうにそうだったんだ。
抵抗していた 心そのものに気づけばよかっただけ。
現象のわけが 解けてきた。
さあ 再出発だ。
みんなに 感謝しています。

大空

大空に 長い時間 大日輪。
それは ささやき 行動の喜びを
共有するかのよう。
うっすらと 富士は ベールのような オーラを放つ。
本体は何かを常に語り続ける 体験というもの。
だが 人は現実に負けそうになる。
そして忘れてしまう。
確かに 君は僕だって事を。
いつだって 離れていることなどないのに。
忘れてしまうのだ。
もっともっと 僕はみんなだってことを
忘れてしまうんだ。
そして 遊ぶこの空間。
以前のもの 由来のもの 不明のもの。
人間の由来 描いたとおりのことで
瞬間を まわりつづけている。
独楽のように。
天の駒のように。

動員

正念場が来ている。
そんな感じ。
全体の 空を動員する。
そんな感じ。
今生の縁の 空なるところ。
動員している 感じ。
きっとなる 黎明の時。
それでなくては あの光が ゴーゴーとなる
あの光が わからなくて 生に別れることになる。
誰もいない はずだった。
でも空だけは 常在している。
今あることを ただ・・・・・。