お盆が過ぎて

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お盆が過ぎました。
雨上がりのお墓 土が軟らかくて 草も簡単に
取れました。
帰省中の末娘と歌姫とおばあちゃんと私が 御先祖さんに感謝しました。
中日新聞の小さなトピックス欄に 今年も綾渡の平勝寺で
行われた 無言の盆送りの様子が写真入りで紹介されていました。
また内山興正和尚さまのことを 思い出しました。
平勝寺のご住職の師です。
そしてその佐藤住職様は 町内の自宅のすぐ北に住んでみえたのでした。
そこは旅館だったのですが、出家されてご住職になられました。
「あなたがよべば 私がこたえる 
それは 私がわたしにこたえるのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
昨日 新しい青い保険証が みなさんに配布されました。
裏には 臓器の提供に関する同意の問い。
何かゾッとした人もいたようです。
次々に人が亡くなります。
お若い方も 年を経られた方も。
有名無名を問わず 幾人もの方が亡くなりました。
「人は病で死ぬのではない・・・・・・」
この言葉が 身体を抜けると 
臓器提供の無意味が 確信に変わります。
迷った心を 澄ませるようです。
ほんとに 待ちわびる方もあるのだろうけれど。
そんな方には すみません。
亡くなった 知花さん、七田さん、杉山さん・・・・・。
人生のある部分で 親しくご縁をいただいた皆さんに
なんと 応えましょう。
「私は 私で 私らしく」
プライナスの演奏がまた頭を駆け抜けます。
「私は 私で 私らしく 生きてくと決めた」
みなさん 笑っているのでしょうか。

イルカのショー

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イタリア村がなくなって 少し寂しい感じの名古屋港。
その名古屋港には水族館がある。
中日新聞に「マイルカのあかちゃんを見学する集い」が日に2回
あるというので娘と一緒に行った。
水族館があくと 子どもやカップルが次々に入館。
入り口には大きなイルカの水槽が3つ4つある。
壁の隅には看板があって「マイルカのあかちゃん見学」と
書いてある。第一回目は30分後。
並んだ めずらしく。(笑)
誰かのためだったらできる。
並んでいる間に 交代でイルカの水槽を見に行く。
「テレパシーを送ると寄ってくるよ。」と私。
「ほんと~??」と眉唾物の父を見る娘。
だがほんとに寄ってくるのを遠くでみて
娘は不思議な顔をしていた。
さて見学の時間がきて 整理の札が配られる。
先着30名さまは私たちのすぐ後ろで切れた。
「ごめんね・・・」と心で詫びる。
ぞろぞろと30人が 一般の客が入れない場所に移動する。
10人ずつがかわるがわるに飼育を観察する小さな部屋に入る。
私たちは最後のグループ。
待っている間に何を思ったか 係りのおじさんが
「ちょっと時間があるので ちょうどその娘さんがいるドアの
後ろの部屋について説明します。」と話し出す。
娘は恥ずかしそう。(笑)
そこは天皇陛下がみえたときに使った部屋で
中に入ると 座って硝子ごしにイルカを観察できるように
なっているとか うんぬんくんぬんと うんちくを述べられた。
笑が出て 一同が一気になごむ。
いよいよわたしたちの番が来た。
部屋に入ると あかちゃんの生態を記録する係りの
おねえさんがじっと記録をしている。
「アッ! あかちゃんがおっぱい飲んだ!」と子どもの歓声。
マイルカの赤ちゃんは お母さんイルカにくっついて
泳いで 何度もおっぱいに吸い付くが ほんの
一瞬で吸っては 泳ぎを繰り返す。
かわいい・・・・。
みんなが満足して 解散。
さてごはんだ!と 少し離れた別の館へと移動。
お魚を見ながらお食事ができるというお店へ行ってみたが
40分待ち。 あきらめて屋上のイルカショーのステージに向かう。
ラッキーなことにステージのまん前の場所に席をいただく。
会場は いっぱいの人。
私は還暦にして 初めてのイルカショーなのだ。
(自然のイルカの群れは ハワイ島で発見。これもラッキーだった。)
なんだかワクワク。
大きなプールでイルカさんたちの演技が始まる。
イルカが何故眼隠しされても ワッパを見つけてこれるのかがわかった時は
やっぱり人間でも物体でも 固有の振動数をもっていることが
理解できた。
輪くぐり ワッパ探し ジャンプや挨拶
集団で物凄いスピードで巨大なプールをあっという間に
周回し集団でジャンプするイルカさんたち 私は不覚にも
泣いてしまっていた。そしてほんとに感動していた。
きっと 大昔イルカだったんだと思う。(笑)
娘は幾度も見たことがあるらしく 感動する父がおかしいのか
「よかったね」と言うばかり。
イルカのあかちゃんを見て イルカショーを見たら
本日の予定は終了だ。
港のレストランで船と港をみながらランチした。
すぐ前に 老夫婦がランチしてた。
彼らはまったくの無音。
こちらはガチャガチャとナイフフォークの音。
「ごめんね」とまた詫びた。(笑)
帰宅しようと駐車場に出向くと
所在なさげな一人の女性が 立ったまま柱の陰でウロウロしてる。
たくさんの人々が行きかう場所に近づくことができずに
ただただ立って逡巡する女性。
「あの人 どうしたんだろう・・・・・。」と娘。
どうすることもできない。
悲しい現実を最後に見る。
私は複雑な気持ちで 水族館を後にした。

すべてはふしぎ

ー痴呆のお話ー
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15年前に共に学んだKさんから 同窓会の顚末記が届いた。
もう 幾年もの間 かかさず届けられた報告の手紙。
今回三重のSさんが話し手になられて 自身の介護経験を
つぶさに語られたようだった。
今回の顚末記は お茶目な報告者Kさんだが 泣き虫でもある彼女が
きっと泣きながら綴ったんだと思われた。
それは読ませていただきながら 幾度もこちらの胸に
迫るものがあったから。
最後に話し手のSさんから皆さんにと配布されたものが
この「手紙」という文章だったらしい。(勝手に転載です)
我が家でも88歳のおじいさんが 少し同じようなボケがあるので
家の女性群にケチョンケチョンに言われている。
いつかは行く道の 私にとっては他人ごとではないので
いつも おじいさんを女性群からかばうようにしてはいる。
でもいつも一緒にいる時間がずっと続く女性群にとっては
イライラすることが多いのだろうと同情してしまう。
そうそう気長に 何度同じことを聞いても 「そうだね そうだったんだね」と
応えることができる自分でありたいと 反省させられる「手紙」だった。
おじいちゃん ありがとう。
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ーケイタイさんは飛んだのかー
東京から戻って昨日は知人宅で 「バッカスの会」という
ともだちの集いで 素敵なお時間をいただいた。
その日のお昼 用事があって国立病院へ出向いたり
さまざまな用事をした。
集いに出かける前の夕刻 ケイタイがないことに
気づいた。 数年前東京での Xジャパンのトシさん関係の
コンサートでの客席で ケイタイをポロリとポケットから
落として すぐあとに気づいてみつけた経験以来のケイタイ騒動。
さて会社になく 家の中にもなく さては国立病院かなと
思って電話するが 落し物にもない。
なんとケイタイがないと言うことは気が落ち着かないこと
この上ないものだ。
心当たりを 現場に行って捜してみようと意を決して 玄関を出て
ふと下をみると 「あったーーー!!!」。
でもそこで落とすはずもない場所なのに。???
落としたとしたら ガチャン とか音がしてすぐに気づくはずなのに。
ほんとに不思議な気がして 長崎の「アンデルセン」での「時計」を
イメージしてしまったのです。(笑)
もし落としたのなら 一晩玄関にいたケイタイさんでした。
寒かったでしょう・・・・・。
もし飛んできてくれたとしても 「もっと大切にするように」と
ケイタイさんに言われているかのようでした。
ケイタイさんに感謝しました。
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ーピュアノニの驚きー
この頃 おなかがへこんで来て なんだか少しやせたような気がして
ケイタイ騒動のあと お風呂後計ったら 60.3キロ。(やせてる・・・)
やっぱり3キロ少し減っている。
急にやせるなんて またお試しだろうか・・・ なんて思ったりも
したのだが 思い返せば 「ピュアノニ」の成果かも。
朝50ミリリットルを一回で 1カ月が経過していた。
別に食欲は変化ないし 以前よりさらに元気だし・・
変な病気じゃないのだろうか と柄にもなくちょっと 不安。(笑)
だけど100-150近くあった血圧は 国立で83-132で
20近く下がったし。やっぱり「ピュアノニ」で 喜ぶべきことみたいと
思い直した。
今朝会社に来て ピュアノニ一杯で耳鳴りが極端に
小さくなった社員さんに質問してみた。
そしたら彼も 「体重が3キロ減って おなかがすくと
胃がキリキリしていたのまで なくなりました。」とのこと。
またもう一人のややメタ腹さんの社員さんも 4キロ
体重が減ったらしい。
やっぱり体を正常に戻してくれた ノニさんでした。
でも以前試したノニの時は なんともなかったんですから
本当に不思議なことです。
今 会社じゅう「ピュアノニ」ブームです。(笑)

静かに 生かせてくださるもの

音もなく いつもここにあるもの。
静かに 静かに 私たちを生かせて下さる
おおいなるもの。
語れば語るほど 遠くになるもの。
静かであれば また自我が限りなく 伏せてしまう。
世の中が 大混乱になった時
考えもつかぬ 新しい技術が現れて
私たちを 新しい時代へといざなう。
「産業革命」か「環業革命」かは知らないけれど
少なくとも ワットも石油も原子力も そばにいて
気持ちの良い人はいないだろう。
天の理にかなうものは いつも人の気持ちを
やさしくさせるもの。
言葉や 意識でもできるけれど
誰にでも どこででも共通の 大いなるもの。
私たちを 生かせて  しずかにあるもの。
近づいている・・・・・。
それは 私たちそのもの。