幾度もの繰り返しが 氷解していった。
自分の信じていたものが 実は自分を縛っていた。
信じるのも 信じないのも
革新も 保守も
絶対も 相対も
すべて バカボン。
誰かの夢が
誰かの夢が
他の誰かの夢ではないし
誰かの目標が
他の誰かの目標でもないし
誰かの主張が
他の誰かの主張ではないし
誰かの正義が
他の誰かの正義ではないし
本当に真理だと説くことの
本当を 誰も知らないし
みんなが 他の誰かの縁との間に
生かされて ある。
光のように 人に呼びかけ
他の縁のある方が 寄っていく。
その繰り返しの果てに
人生は暮れていく。
ついては 離れる繰り返し。
この世では 死が縁を分かつもの。
または 気が人とを分かつもの。
分からない ままに
暮れていく。
だから なつかしい。
どうして 私がと 自分を責めないようにしてください。
どうしても あなた様に だったんですから。
その お役です。
縛られているとは 思わないでください。
多重の フラクタルの世界は あなた様だけの世界です。
あなたにしか わからない世界です。
その世界を 解くのも あなた様だけです。
他の誰一人も 解けない。
自分への ひとり言。
「どっちらも」 プライナス
さまざまな春
笑っちゃった!
土曜日の朝 突然に!思ったことがありました。
理屈では わかっていたつもりでした。
ずっと長い間。
みんな自分の思いを ぶつけてきたこと。
だから現象が現れていることが 突然に
ストーンとわかりました。
そしたら 笑えて笑えてしょうがないんです。
もうなんでしょう。
いくら祈っても 何かを変化させようという
祈りなら 何万年してもだめでしょう。(笑)
流れるだけの映像に 感謝以外のなにもないのでしょうか。
どんなことになっていても みんなあるんだし
どっちへいこうと いいじゃないですか。
ほんとに ありがとうと 言いたくなりました。(笑)
天音天画 0804
中国
「私たちこそが 世界の中心民族だ!」という
中華思想が聞こえてきそうな最近のニュース。
なんだか中国との関係が悪くなりそうな事件ばかりが
いっぱい起きている。
急いで訪中の政府の役人さんたち。
そして中国を持ち上げる言葉の数々。
映画「靖国」のニュース。
15年ほど前 始めて中国に出向いた時 見た光景。
素晴らしい都市ビル群の 一本裏の道では
朝 鶏の首をはね その血を排水路にそのまま流す場面。
万里の長城の タバコやさんでタバコを勝った時に
とんできた おつり。
激しい国 中国には 王の移り変わりとともに
以前の勢力を皆殺しにするという 日本にはない
方法で 国政が変わってきたという事実がある。
最初の中国訪問の2年後 訪日を希望する
中国留学生の若者のために 二度目に訪れた上海では
もうすでに二年前の姿とは大きく変化した町をみた。
日本にあこがれ 18年前に来日し そのまま日本にいる
そのころの女性留学生にきいたことがある。
どうして日本に来たのか。
「ほんとはアメリカに行きたかったのだけれど むつかしくて。
それで日本にきました。日本に来たら 聞いていたのと
違って 日本人の方はどなたもやさしくて 町もきれいだし。
なんとか日本と中国の 両方のお役に立ちたいです。」
答えには なっていない。
本心は 貧困との決別だったかもしれない。
でも 今 物凄い変化を示す上海に 彼女は
帰ろうとはしていない。
国とは何か。
どうしてこの国に生まれたのか。
家族とは何か。
どうしてこの家族と一緒になったんだろうか。
時代とは何か。
どうして今に生かされているのか。
私たちの 旅は続いている。
友あり・・・
「人生の5番目の時期に入ったよ・・・。」
大きな手術を経て とても元気そうになった友人が
訪ねてくださった。
同年の彼。
「これからの10年は 仕事を楽しんで
人生も楽しんで やっていく。」
おだやかに話をされる。
出会った16年前には 売り上げ高競争を競った
経営者仲間だ。
その後時代が変化して 売り上げで競争することは
あまりにもおかしくなったので 「愛一番会社」競争になった。
いまだ答えがでないでいる 現在の閉塞的な時。
時を同じくして 同い年の友の これからの10年に
同じ思いを共有できた。
これから続く次世代の方々に 何が残せるだろうか。
何かを残すというよりも 物質はほとんど何も
残せないし それでいいと感じている。
もともと この世は廃墟みたいなのだから。(笑)
住民税 介護保険 国民健康保険などの金額が
目の前に迫って 始めてきづいた人々のなんと
多いことだろう。
政治に国民が関心をもつ時代ほど
危うい時代はないのかも知れない。
痛む箇所が 身体にあって 始めてその存在に
気づかせていただく。
そして身体全体の役割を知る機会を得る。
自分が何をしてきたのかの結果を教えてくださる。
何もなく平穏な時がどんなに幸いかがわかるのは
逆境の時だし 逆にいのちが進化を果たすのもまた
逆境の時だろうか。
進むのです。
飛躍的進化の時が来たようです。