なかなか

「情報革命とエネルギー革命は コインの裏表だ。」
連山 なかなか言います。
「それから 何を持っているか どれだけ持っているかより
誰と繋がっているか どんな情報のネットと繋がっているかが
大切になる。」 これも。

このごろ

このごろ 将来への大きな不安からか
とても人間とは思えない言動や
行動をとる人々が多いみたいです。
そんな人々でも もとは繋がっていて
ひとつだって 思わせてはいただくのですが
あまりのことに ただ祈ることぐらいしかできません。
台風や大雨は 大変なことですが なんだか
物凄く強力なものたちを しずかに おさえてくれているような
気さえします。
私たちの 想いが生み出す強力なエネルギー場に
よって 現象として現れる現実の世界は
ただただ 己をすてて お人のために祈れるかを
試されているようにも感じさせていただいてます。
ありがとうございます。

38年前 土木の作業員だった私は
高速道路を建設の第一歩として
まず山に道路の中心線引きのために 20メートルおきに
杭を打つ作業をいたしました。
測量器具と9センチメートル角で先のとがった
木杭と かけや(くい打ちの道具)と測量器具をもって
山の木や草を刈りながら 進んでいきます。
そしてその後 その中心杭が壊れても 復元できるように
高速道路の用地からはずれた場所に ほぼ十字の位置に
4本の杭を打って完了します。
この杭は逃げ杭と呼びます。(どちらでもいいですね・・笑)
それからまず山にある大きな木をチェンソーなどで
切り倒します。
その後ブルドーザーが入り
山の表面を 皮をはぐように根こそぎめくるのです。
(伐開 伐根といいます)
そのとき なんともいわれぬ悲しさを覚えました。
いつも ごめんね ごめんねとこころでは言っていました。
高速道路は 便利ですがその線は 文化圏を
右と左に分けてしまうような影響力をもつようです。
文化を裂き 自然を破壊する仕事は
自分には向かないと その頃漠然と思っていました。
思っていた通りに なってしまいました。(笑)
今年の3月 隣の家屋に住んでみえた方が
家と土地を手離されました。
ミニバブルの最後でよかったなと感じました。
新しい持ち主の不動産屋さんから 通知がありました。
「9月には10階建てのマンションの建設を開始いたします。」
といった文面でした。
更地になって 久々都会に大きな面積の土が
現れました。
夏が近づくとともに 草々や花や なんででしょうか
トマトや かぼちゃのような植物が根付きました。
雑草を根こそぎは また心が痛いので
草刈を手でしました。
花や 食べ物はもちろん 残しです。
途中大きく裂いたひまわりが 夜中に
どなたかの心によって 透明のビニールかさで
みんな倒されてしまいました。
なんだか切なかったです。
草々は栄養を求めて 上へ横へと自在に奔放に
物凄いスピードで伸びます。
草刈がなんだかとても 楽しみで 汗びっしょりになるのですが
身体が軽くなるし 後のビールは最高ですので
楽しみにさえなりました。
6月には 管理地ダレソレの 大きな看板が
建ったので バブル崩壊の影響で ビル建設は
頓挫とさとりました。
それから日にちが経って 土地はこの9月から
100円パーキングに生まれ変わることになりました。
となりのコーヒー屋さんが 願っていた通りに
なりました。(笑)
都会から地面が再び消えて 植物さんとの
対話がなくなりました。
地を這うようにして ゴメンネごめんねと言いながら
草を刈った何日かが 遠い日になりました。

造化の神霊

大自然の中に行って しばらくの時間をすごすと
身体がかるいし こころもさわやかです。
山に登っても 出る汗はにおわず さわやかです。
そして 疲れも なんとはなく軽いもの。
大きな木や 大きな岩 そして山々 草々
花々 などがただあるだけで あたたかく包んで
癒してくれるかんじ。
それらは 永久に人間になることなく それでも
人間よりはるかに 精妙な神霊である
「造化の神」と聞きました。
なるほどと思いました。

気温

9/6 午前11時 東海北陸道 ひるがの高原SA
気温 30度。
午後2時30分 白山スーパー林道 入り口ゲート付近
気温27度。
午後5時30分 再びひるがの高原SA カレーレストランで
30度 クーラーが作動している。
あったかい 初秋。
物凄い 白山。

ときめきのワケ

お人との 出会いのときの あのときめきは
なんだったんだろう。
あの講演を 待ち焦がれた 数日間の
ものすごい ときめきは なんだったんだろう。
人間との出会いは その後のご縁が ワケを
明かしてくれる。
でも 集いや 行動のきっかけをくれたお話のワケが
十数年も過ぎてから わかってくるなんて。
それからさらに あの人の あの一言が
今頃 理解できるなんて。
時間の中に 空間の中に すべてがたたまれて・・・。
今。
今年の というより 今回の人類スタッフの
正念場を迎えようとしているかのように感じる。
すべて ありがたく 受けようと思っています。 

情報の時代って・・・

みんなのためになる情報を
たくさんの方に一度に発信できることが
情報時代という認識があった。
けれど その「みんなのために」が
「よけいなお世話」だったりすることもある。
ただ発信することに この時代の核心に
迫る道はないのだろうか。
自らの選択した情報によって
現実という映像が結ばれる。
思っていいのは 慈悲のみか。
永遠に消えないものは 思い。