想念エネルギー場

公立高校入試 大学入試 発表の前後
国中に 自分の子どもだけは 受かりますようにという
想念が飛び交う。
物凄いエネルギー場が それを喜ぶ執着のおともだちたちの
えさとなって その餌食となる方に 降り注ぐ。?
金融の乱高下 為替の乱高下 債権価値の低下
極度の悲しみが 地球を覆う。
それを喜ぶ 執着のお友だちが またまた降り注ぐ。
負けないでと祈る。
地震 雨 風 雪 カミナリ なんかが お静まり!
そういえば 45年前の高校入試の発表の日
すこし季節はずれの 大雪が降りました。
飛びなさい。

何を求めて

「農業に携わる方の平均年齢が
現在65歳なんですよ。
もうからないから どんどん若い人が
農業から手を引いていってしまったんです。
このまま行くと あと3~5年で 日本の農業はダメになります・・・。」
そんな農業のプロの方のお言葉を
聞きながら 「食料の価値が高くなったら
みんな農業に自然に従事するようになるから
きっと大丈夫・・・。」と心の中ではつぶやく。
それでも そこで農業が復興したとしても
ほんとうに 真の解決になるのだろうか。
一番大切なことは 人間の意識の変革なのだから
変革なくしてなす事業は また元に戻ることには
ならないのだろうか。
また農薬農業そのものや 競争農業 補助金農政
などからの脱皮が必要とされるのかもわからない。
水 食料 空気 エネルギー そしてその源となる意識。
それらの大変革が迫っているのだろうか。
人類の歴史上からよく考えてみると
「狩猟」から「農業」への時代変化は
石の斧が道具となった。
それは木を切って農地を開墾するために
画期的なエネルギーの増大をもたらした。
そして「農業」から「工業」への変革の道具は「蒸気」。
それをうみだす元が「石炭」となり「石油」となり
「核」となった。
すこしずつ「精妙」になってきたわけだ。
要するに時代を大きく変化させて「革命」と
呼ばれる時代のターニングポイントに
現れたのは「エネルギーの道具」の変化だったのだ。
今回は「通信」という道具が「情報時代」という
新しい革命を起すものだと よく言われる。
しかしほんとうにそうだろうか。
エネルギーを生み出す道具の変化が 今までの革命の重要な核を
なしたとすれば 「あたらしいエネルギーの道具」をもってして
人類は どんな方向へ向かうのだろうか。
物質世界の発展のみに向かうのであればそれは破壊と
なるのかもしれない。
あたらしい「道具」を手にした人類の向かう方向は
一人ひとりの心の持ちようが示すのではないだろうか。
毎日の生活で 私たちはどれだけ多くのエネルギーを
使って地球を食べ  どれだけ多くの化学製品を使って
地球を汚しているのだろうか。
もうそろそろ スピードを落とすように
そして 手放すようにと 天が呼びかけて
いるような気がしている。
世界の夜明けは 近いのかも知れない。

いただきます

「いただきます」
86歳になる父が 食事が終了してから
そう言った。
思わず 吹きそうになる。(笑)
毎食後に飲ませていただく
自分用のお薬を 曜日別 食事後別のケースから
取り出して 目の前に並べてから 思わず
口に出てきた言葉が「いただきます」。
老夫婦が その日に行った 税の確定申告で
あわせて申請した 一年間に要した医療費は
45万円を少し切った額。
自己負担30%として 医療費全額は150万円
になる。
一人にすると75万円。
これだけの医療費が 必要になる老人という世代。
この国の 皆さんに助けられて生かされていると
思うと 戻るはずがないと言われる 厚生年金も
ぐるりと廻っている感じで 助け合いと思わせていただく。
いい老人とは 「いつもニコニコしている老人」とか。
うちの老人は まるで 宇宙人だ。(笑)

人間の行動原則

YYKの3人コンビで 月に一度ある講義を受けています。
さて 27日のお話の一部は・・・。
「人間の行動原則は 快を求め  不快を避けることによる。
魂をアップさせようと 上のレベルの 快 不快をやろうとする。
がんばって やろうとする。
しかし現在の波と異なる波の快はすなわち
現在の状態では不快にちがいない。
だから結局 がんばるほど不快がつのる。
勢い現在のままの低い快を求めようとする。
そして結局 元に戻るか さらに下がってしまう。」
ずっとこのパターンで 跳ね返されてきて
時には苦難に奮起して上昇を果たすことも
あるけれど ちっとも目標に近づかない気さえする。
何とか 苦難という現実修行なくして
上昇はないだろうか。
虫の良い話だけれど。(笑)
ところが 作用反作用の法則で
上昇実現の絶好機を向かえることができるらしい。
それも 苦難なしに。
では次回・・・。
てな調子です。(笑)

さまざまな夢

2月22日の午後2時20分くらいに
(できすぎですが)
国道23号(名四国道)を東に向かっていました。
(22号でなくて よかったです・・・笑)
と 左側車線の隅で 一台の車があお向け
(カメがひっくり返ったような様子)
もう一台は 大破もしていない様子。
運転手さんはケイタイ中でした。
大事故のようなのに けが人はないみたい。
あれーーー大変と思いながら 20秒ほど
進むと 今度は追突直後らしい2台の車が。
なんてことでしょうか。
こんなに短い時間に 二組も事故だなんて。
それを 目撃するなんて。
そういえば どこかから 2時-3時に
物凄い光が降りて 人類は4/1と3/4に
振り分けされるとかいうメッセージが届いていました。
これかなあ なんて思いながら ずっと眠い状態。
24日の今日 そのメッセージの方のホームを
見てみますと 思わず微笑んでしまいました。
24日の 日が沈むまでに いままでの欲望や
執着をすてないと もう時間がありませんと
書いてありました。
奥さんを呼んで 「ねえ こういうことだって。」
と話すと 家内は 「それこそ執着じゃないでしょうか・・・。」
「アハッ!」
一本とられました。
かみさんは 神さんです。(笑)

信じること

人様をとことん信じて 信じていることさえ
忘れることって  自分をとことん信じて
信じることをさえ 忘れていることと
同じでしょうか。
人様がきいたら お人よしで
どこまで アホ!といわれそうな アホです。(笑)
でも もしかしたら 御先祖さまだけは
「ほんとうに ようやった」と 言ってくださるかも
知れません。
そう いのちが消える時には
みんなわかることでしょう。
今日も ことがらに ありがとうと 言います。